動画一覧 - 人の心に灯をともすYouTube3分動画 - 本の要約・解説DB 人の心に灯をともすYouTube3分動画の動画一覧です。 https://book.streamdb.net/videos-rss/c/UCS5Afaz4tnc46us-BgpkIEQ Mon, 22 Apr 24 09:59:14 +0900 【本当のリスクとは】(森田正康・まさやす) https://book.streamdb.net/timelines/v/RgpGW1rUzSk Mon, 22 Apr 24 09:59:14 +0900 【本当のリスクとは】(森田正康・まさやす) 1.《何かができないという思い込みは、リスクを冒したくないことを 単に正当化しただけである》(アリ・キエフ/精神科医)  2.こんな話があります。 たとえば、はしかを予防するためには、ワクチンを打たないといけない。 しかし、そのワクチンの副作用によって死ぬかもしれないから、子どもの親が反対する。 でも、それは飛行機が落ちる確率よりも低かったりします。 ということは、その親は子どもを一生飛行機に乗せないということでいいですね? という話になりますよね。  3.実は、特に意識していない毎日のこともリスクだらけだったりします。 会社に行くために電車に乗ることも、料理をするためにガスに火をつけることも、休日に街を歩くことも....何が起こるかわからない。 危険がいっぱいです。 リスクというのは確率の話であって、確率はかけ算で導き出されます。 だから、車に乗って、タクシーに乗って、飛行機に乗ってアメリカに行ったとしたら、電車で 事故が起きる確率と、タクシーで事故が起きる確率と、飛行機が落ちる確率と、アメリカで事件に巻き込まれて死ぬ確率...それらを全部かけ合わせると、実はめちゃく ちゃリスクの高い行動をしているわけです。  4.海外旅行なんかはそれら行程がすべてパッケージにされているわけですが、そもそも僕たちは日常生活レベルでけっこう死ぬ確率が高いことを平気でやっていたりするのです。 そして、そのリスクの中で生きているのが人間です。 リスクというのはそれだけを抜き出してとらえると危険に見えますが、俯瞰(ふかん)して見たり比較することによって、また違った側面が見えるものです。  5.そんなに過剰に恐れないことが大事だし、それよりはリターンのほうが常に大きいことを頭に入れておいたほうがいいでしょう。 リスクとリターンは常にセットで考えるべきです。 だから、本当のリスクというのはリスクテイクをしないこと。 そこで生じる機会損失のほうが痛いと思います。  ◆ 森田正康氏は、「何もしないことが一番損をしていることになる」という。 つまり、何もしないことが一番のリスク。 何もしなければ、失敗もない代わりに、成功もない。 リスクテイクとは、危険を承知の上、恐れずに挑戦すること。 リスクをとって、リターンを取りに行くこと。 ◆ 死ぬときに後悔することのリストの上位にくるのが、「リスクを心配してあきらめずに挑戦すればよかった」だという。 失敗を恐れずにチャレンジすること。 こんな言葉がある… ●「失敗や挫折をしたことがない人とは、何も新しいことに挑戦したことがないということだ」(アインシュタイン) ●「失敗することを恐れるより、何もしないことを恐れろ」(本田宗一郎) ●「もし時々失敗することもないというのなら、それはあなたがあまり革新的なことをしていないという証拠だ。」 (ウディ・アレン) 本当のリスクとは… リスクを恐れて挑戦しないこと。 いくつになっても、新しいことに挑戦する人でありたい。。 【万事に丹精を込める】 (藤尾秀昭) https://book.streamdb.net/timelines/v/7VkxRPMPLwU Sun, 21 Apr 24 07:13:54 +0900 【万事に丹精を込める】 (藤尾秀昭) 1.《万事入精(にゅうせい)》 万事に丹精(たんせい)を込めていく。 あらゆることに誠心誠意を尽くしていく。 万事をなす所以(ゆえん)を一語に凝縮した宝玉(ほうぎょく)のような言葉である。 勤勉性は万事入精と同義である。 何事も疎(おろそ)かにせず、懸命に取り組む。 一億国民の勤勉性、即ち万事入精の精神が日本の驚異的な戦後の復興の基であったことを私たちは肝に銘じたい。  2.安岡正篤師に「傳家寶(でんかほう)」と題する一文がある。 事の前に在りては怠惰  事に当たっては粗忽(そこつ)  事の後に於(お)いては安逸(あんいつ)  是(こ)れ百事成らざる所以(ゆえん)なり  大事なことがあるのに準備もしないで怠けている。 実行の場面ではいい加減で軽率。 終わったら何の反省もせず、ああやれやれと気を緩めてしまう。 こんなことをくり返していては何事も成功しない、という戒めである。 この教えを噛(か)みしめたい。  3.事の前にあっては準備万端、事に当たっては全心全力、事の後は必ず反省・検証する。 私たちはこの姿勢を忘れてはなるまい。  ◆森信三師の言葉に次のようなものがある。 《「下学して上達す」― 下学とは日常の雑事を尽くすの意。 それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、真の哲学や宗教の世界には入りえないというほどの意味。》 《人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。 そして齢をとるほどそれが凄まじくならねばなるまい。》  ◆目の前の一つ事に命を込める。 それが雑事であろうと何であろうと、与えられた一事に懸命に取り組む姿にひとは感動する。 倦(う)まず弛(たゆ)まず、コツコツコツコツと。 どんな小さな仕事でも、バカにせず、軽んぜず、自分の持てる力の限り頑張る。 そんな姿を人は見ている。 「万事入精(にゅうせい)」 万事に丹精を込めて生きてゆきたい。 【漢語と大和ことば】(黒川伊保子・いほこ) https://book.streamdb.net/timelines/v/vWHG2eFCJ3k Sun, 21 Apr 24 07:02:12 +0900 【漢語と大和ことば】(黒川伊保子・いほこ) 1.以前、新聞のコラムに、「企業や役所は、不祥事の謝罪に漢語(認識、遺憾、反省、不適切など)をよく使うが、大和ことばで謝ってはどうか」という提案があった。 たとえば、「この結果は認識外でした。遺憾の極みであり、不適切な行為であったと反省します」は、大和ことばを使うならば、「こんなことになるとは思いもよらず、 軽はずみにひどいことをしてしまいました。本当に、ごめんなさい」となる。  2.前者は、ひたすら畏れ入る感じが伝わり、後者は担当者の胸の痛みが伝わる。 私自身は、職務に徹し、私見を排除した漢語使いのほうが好きなのだが(プロは自らの胸を痛める前に、事態の収拾にかからなければならないからね)、いけしゃあしやあと漢語謝罪を重ねられると、つい、「一度くらいは、大和ことばで謝ってみなよ」と言いたくなる。 自分のことのように、はだかの心で悲しんでみなさいよ、と。  3.大和ことばは、この国固有のことばで、訓読みという音韻体系でくくられる。 いのち、こころ、ありがとう、そら、くに、のぞみ・・・・・・なんだか、心にしみいるような、 温かな人間味を感じないだろうか。 これを音読みのことばに置き換えてみると、生命、精神、感謝、天空、国家、希望となる。 スケール感のあることばたちだが、なんだか素っ気ない。 どうにも、他人事のような感じなのだ。 「感謝します」だなんて、本当に嬉しいの?と聞きたくなっちゃうくらいに。  4.また、工場をコウバと読めば、気心知れた仲間で働くところを、コウジョウと読めばグローバル企業を思い浮かべる。 そう、私たち日本人は、漢語にグローバルな社会性を、大和ことばに私的な情緒性を感じているのである。 そして、それは、慣習のせいだけとも言いきれないのだ。 漢語は、口腔(こうこう)をあまり高く上げず、息を強く吐きだしたり、擦りだしたりして発音する。 漢語に多い、サ行音・カ行音・タ行音・濁音と長音、撥音(はつおん)の組合せが、そうさせるのである。  5.口腔を低く使うので、手の内を見せない感じがする。 息を強く擦りだすので、毅然 とした感じを作りだすし、口腔表面の温度が下がるからクールなのだ。 だから、パブリックな場には漢語が似合う。 実はこれ、ドイツ語や英語に多く見られる音韻傾向でもある。 一方、大和ことばは、拍(はく/カナ一文字)ごとの母音(ぼいん)をしっかりと発音する。  6.母音は、 口腔の形で音の区別をつけるので、口を良く開けることになる。 身体の内部(口腔) をさらけ出すので、心のうちまで見せた感じがして、ことばを交わす者たちの間に親密感が育まれる。 こちらの音韻(おんいん)傾向は、イタリア語やスペイン語に多く見られる。 日本語は、不思議なことばで、合理性の高いパブリックな音韻体系と、私的で親密な音韻体系とを、ほぼ完全に二重に持っているのである。 その証拠に、思いつくほぼすべての文章表現を、ほとんどの日本人が漢語系と大和ことば系で表現できるはずだ。  7.かつて甲子園を沸かせた徳島池田高校の名監督・蔦文也(つたふみや)氏は、「試合前に子どもたちを激励するときは漢語を使い、試合後にねぎらうときには大和ことばを使う」と言ったそうである。 私たち日本人は、こうして、合理的思考と情感表現を自在に使い分け、人間関係に留まらず、芸術や産業の領域に稀代(きたい)の器用さと独創性を発揮している。 日本語の素晴らしさはここに極まれり、と、私は思う。 ところで、「愛(あい)」は音読みだって知っていましたか? だから日本男子は、「愛してる」なんて他人事のようで、恋人や妻相手に口に出せないのかも?(微笑)  ◆高橋こうじ氏は著書「日本の大和言葉を美しく話す/東邦出版」の中でこう述べている。 ●大和言葉とは、太古の昔に私たちの先祖が創り出した日本固有の言葉。 また、その伝統の上に生まれた言葉です。 「山(やま)」「川(かわ)」「夢(ゆめ)」「ふるさと」、みんな大和言葉です。 漢語は中国語から取り入れた言葉で、「山地(さんち)」「河川(かせん)」など、つまり漢字の読み方で言えば、音読みで発音されるのが漢語。 訓読みが大和言葉です。 ●また、大和言葉を使うと言葉に奥行きが増します。 たとえば、「チョー素敵だった」と言うなら、「このうえなく素敵だった」。 「感激した」と言うなら、「いたく感激した」と。 ◆「試合前に子どもたちを激励するときは漢語を使い、試合後にねぎらうときには大和ことばを使う」(蔦文也) 心に沁(し)みる「大和ことば」を折に触(ふ)れて使いたい。 【「SINIC(サイニック)」とは何か】(中間真一・なかましんいち) https://book.streamdb.net/timelines/v/_ACzhs6Zm5w Sat, 20 Apr 24 07:40:43 +0900 【「SINIC(サイニック)」とは何か】(中間真一・なかましんいち) 1. "SINIC(サイニック)”とは何か? SINTC-Seed-Innovation and Need-Impetus Cyclic Evolution of technological innovation の頭文字を取ったものである。 この"SINIC"の意味を日本語で表現すると、「科学が技術の種となり、技術は社会を革新する。 そして、社会は技術に新たなニーズを与え、技術はその社会的価値によって、さらなる 科学の発展に刺激を与える。 そのような、円環的な技術革新の進化」となる。  2.つまり、科学・技術・社会の三者の相互の影響による、技術革新の円環的進化を、未来予測理論として体系化したものである。 しかし、このような科学・技術・社会の相互作用は、単に放っておいて進行するものではない。 円環的な相互作用が進み続けるための原動力となるものが必要である。 それは、人間の欲望や意欲であると位置づけている。 人間の進歩に向かおうとする欲望や意欲、志向性をエンジンとした推進力が、科学・技術・社会に作用することで、円環状の進化が活性化するということを表している。  3.SINIC理論は、未来予測理論である。 しかし、理論であると共に、その理論に基づいた「未来シナリオ」をも提示している。 それが、科学・技術・社会の進化を表す、SINICダイアグラムである。 つまり、SINIC理論=「理論」+「シナリオ」、として構成されるものなのだ。 SINIC理論は、発表からすでに半世紀以上を経ている。 つまり、発表当時に予測した未来とは、まさに現在進行中の私たちの世界である。  4.そして、SINIC理論への関心は、特にここ数年で急速に広がり、さらに加速されて拡大しているという実感がある。 その理由は、ほぼ一致している。 それは、「50年以上前の高度成長真っ只中の時代において、ちょうど現在に相当する時期で、世界中で新旧の価値観の大転換が起こっていると予測した未来予測の高い精度」への驚きと評価の結果なのだ。  5.技術視点だけの未来予測であれば、情報化がさらに進むイメージに留まるものとなるであろう。 しかし、人類史全体を俯瞰して、太古からの人間の価値観の移り変わりなどに基づいた理論体系から洞察したSINIC理論に基づけば、情報化が進む社会の中で、これまで長く続いてきた工業社会の価値観のままでは立ちゆかなくなり、同時に、まったく新しい社会の萌芽も生まれて、新旧価値観の大転換が到来し、混沌や混乱の渦に巻き込まれていく未来を予測できていたのである。  ◆SINIC理論はオムロンの創業者、立石一真(たていしかずま)氏が1970年の国際未来学会で発表した理論だ。 パソコンやインターネットも存在しなかった時代に発表された。 SINIC理論では、直近は下記のように分類される。 1974年から「情報化社会」。 2005年から「最適化社会」。 2025年から「自律社会」。 2033年から「自然社会」。  ◆「最適化社会」とは2025年からの「自律社会」へ移行するための大転換の時代と予測されています。● 無くなるはずの戦争や紛争が発生し、想定外の感染症の拡大、気候変動による大規模な自然災害、大量生産大量消費型経済システムの限界、AI技術による雇用危機など、世界は今、まさに葛藤と渾沌の最適化社会の渦中です。 ●人類は、物質的な豊かさを手に入れました。 一方で、エネルギー、資源、食料、人権などの様々な問題が未解決のまま取り残されています。 最適化社会では、これまでの工業社会を通じて貯めこんでしまった負の遺産の解消が大きなテーマになります。 SDGsの17の目標への世界的な取り組みは、まさに最適化社会のムーブメントの表れです。  ◆「自律社会」とは、自律社会の構成要件としては、「自立」(自ら立つ)、「連携」(つながり合う)、「創造」(つくりあげる)という3つを挙げています。 ●その3つの要件の重なる部分に、自律社会への未来可能性が生まれると考えています。 そのために、より人間の内面、精神性、感情にも関わる技術「精神生体技術」が新たな技術分野として立ち上がるでしょう。 ●そこでは、従来のように人や社会は新技術に適応するだけでなく、科学や技術に対して「倫理」面からの影響を与えていくことも重要になります。 AI、遺伝子医療、モビリティ、貨幣システム、ものづくり、住まい方、働き方、レジャー、アートやスポーツなど、様々な分野で、自律的で持続可能性を高める共創や創発が芽生えるのです。  ◆「自然社会」とは、SINIC理論では、原始社会からスタートした人類史の一周期は、自律社会の完成によって完了します。 ●そして、二周期目は「自然社会」として2033年からスタートすると予測しています。 これは、再び原始社会に回帰するということではありません。 円錐上の螺旋階段を登っていくように、原始社会から一段高いレベルに発展を遂げた、ハイパー原始社会とでも言うべきスタートです。 ●自然(しぜん)と対峙する人間社会ではなく、人も技術も自然の一部となった、あるがままの自然(じねん)の世界、それが持続可能で豊かな社会となる方向性が目指されます。 これは、SINIC理論が理想とした「ノー・コントロール」という社会コンセプトの実現に近づく道筋にもなります。 以上、Omronホームページより  ◆先行きの見えない「VUCA(ブーカ)」の時代、未来を知ることは誰にとっても必要なことだ。 教育、経営、医療、働き方、経済、貨幣、芸術、スポーツ等々、未来の方向性がわからなければ、間違った努力をしてしまう。 SINIC理論を学びたい。 【脳は否定語を理解できない】(西沢泰生・やすお) https://book.streamdb.net/timelines/v/d0jb6xIg0pI Thu, 18 Apr 24 11:25:38 +0900 【脳は否定語を理解できない】(西沢泰生・やすお) 1. YouTube番組『コヤッキースタジオ』で、タレントの島田秀平さんが披露していた話。 あるアメリカの大学教授が、「なぜ、テストの答案用紙に名前を書き忘れる学生がいるのか?」を調査するため、試験官の協力を得て、名前を書き忘れた答案を見つけたら教えてもらい、その学生を追跡。 「なぜ、名前を書き忘れたのか?」をインタビューしたそうです。 すると、名前を書き忘れたことを知らされた学生の多くが、同じ言葉を発したのです。 自分が名前を書き忘れたことを告げられた学生の多くが開口一番で言った、共通のひと言とは何だったでしょう?  2.それは… 【答え】 「やっぱり」  3.なんと、答案用紙に名前を書き忘れた学生の多くが、そのことを告げると「ああっ、やっぱり」と答えたというのです。 続けて「なぜ、やっぱりだと思うのか?」と聞くと、こんな回答が。「私は母親から、あなたはおっちょこちょいだから、名前を書き忘れないように気をつけなさいと、口を酸っぱくして言われていました。だから、やっぱり親の言う通りだと思ったんです」  4.島田秀平さんは言っています。 「これこそが呪いの言葉です。 お母さんからしたら、よかれと思って言っているんです。 でも、人間は『おっちょこちょいだから気をつけなさい』と言われ続けると、自分はおっちょこちょいなんだというほうが刷り込まれてしまうんです」 思い込みのパワー、恐ろしや。 ◆ 脳は否定語を理解できないという。 たとえば、「黄色い象を思い浮かべないでください」と言った途端「黄色い象」が頭から離れなくなる。 「思い浮かべないでください」という否定語はスルーされてしまうのだ。 つまり、あたまに思い浮かぶのは「黄色い象」という単語。  ◆斎藤一人さんは、そうならないために必要なのが「単語法」だという。 単語法とは、たとえば、「勇気を持ちたい」と思ったら「勇気、勇気、勇気…」と何回も何回も言うこと。 自分に必要な単語を何回も繰り返すこと。 「単語法」なら、そこに否定語が入り込む余地はない。 ポジティブな単語だけをくり返せばいいからだ。(魅力的な人になるためのヒント/ぴあ)より  「脳は否定語を理解できない」という言葉を胸に刻みたい。 【流言は智者に止まる】(伊集院静) https://book.streamdb.net/timelines/v/LcAJ5b4H-r8 Wed, 17 Apr 24 16:58:21 +0900 【流言は智者に止まる】(伊集院静) 1.私の同級生の一人に、あいつのオヤジは人を殺した、という噂(うわさ)が出て、私は驚いた。 友だちの家が母子家庭であるのは父親が刑務所に入ってるからと、誰がどうこしらえたのか(バカな大人の噂話を子供が聞いたのだろう)、教室で声をひそめて皆その話をしていた。  2.その日、家に帰り、その話を母にした。 母は裁縫していた手を止め、私の手を強く引っ張るようにして怖い顔で言った。 「そんなことがあるわけないでしょう。あなたは△△君を知ってるのだから、ちゃんと違う、と言ってあげたの?」 私はうつむいた。 母の言う、そういう考えを、その時は思いもしなかった。 「△△君とお母さんが可哀相でしょう」 彼の母親は、時折、手籠に入った和菓子を行商のようにして売っていた。 母は、大変ね、と言いながら、それを買っていた。 仲も良かったのだろう。  3.「もう二度と、人と一緒になって、そんなことを言わないと約束してちょうだい」 「わかった」 「よく覚えておくのよ。誰かを悲しませる嫌な話や、噂話があったら、あなたの胸で皆止めるの。この先ずっとそうして下さい」 以来私は、他人の噂話はいっさいしない。 雑誌の中傷記事も読まない。 その類いのことに徹して来たら、普段どんなに人柄の良い人であっても、噂話をしている時の彼等の顔がなんとも醜いとわかった。 4. 数十年過ぎて、本を読んでいたら、「流言(りゅうげん)は、智者に止(とど)まる』(荀子)の一行を見た。 なるほど昔からこういう考えがあったのか、と感心した。 《私は智者にはほど遠いが、流言を自ら止めることを守っている》  ◆噂話(うわさばなし)とは、世の中で起きていることや、人についての話題を無責任にかげで話をすること。 タレントや有名人の個人的で興味本位のゴシップも多い。 それが行き過ぎると、流言飛語(りゅうげんひご)となる。 確証や根拠のない情報が世間に流れることで、大きな災害が起きたときなどに、多くの人たちがパニックになることもある。  ◆「流言(りゅうげん)は、智者に止(とど)まる』 大人の嗜(たしな)みとして、覚えておきたい言葉だ。 噂話をしている人の顔は、醜(みにく)く、そして、卑(いや)しく見える。 流言を自ら止める人でありたい。 【「ありがとう」が簡単に言える人】 (ナイジェル・カンバーランド) https://book.streamdb.net/timelines/v/91x30mfq8zE Tue, 16 Apr 24 17:25:43 +0900 【「ありがとう」が簡単に言える人】 (ナイジェル・カンバーランド) 1.《成功する人は「ありがとう」が簡単に言え、 成功しない人は素直に感謝ができない》 「然るべきときに感謝を伝えることは、とても有意義な習慣だ。その見返りは計り知れない」 ロレッタ・ヤング(アメリカの女優) 2.離婚や辞職の主な理由の一つは、不和や不正ではありません。 それは、相手から認められたり、褒められたりしないことです。 調査によると、人が誰かと別れる大きな理由は、相手に十分に認められていないと感じることです。 人は誰でも、認められたいと思っています。 周りから評価され、認められ、愛されたいと思うのは、人間の基本的な欲求です。 そのため、周りの人に感謝し、努力を褒めるのを習慣化することは、とても重要です。 3.相手を褒める方法は「個人的」「公的」の二つに大別できます。 人前であれ、個人宛のメー ルであれ、相手を褒め、感謝を伝えることを忘れないようにしましょう。 短い感謝の言葉には、とても大きな力があります。 性格や育ち方の違いで、感謝の言葉を人一倍必要とするタイプの人もいます。 相手の立場になって考えてみましょう。 自分のしたことに対して、十分な評価や感謝が得られなかったら、どんな気分になりますか? 《短い感謝の言葉には、とても大きな力がある》 ◆植西聰氏はこう語る。 ●私たちは誰でも、人に認められたいと思っている。 逆の言い方をすれば、私たちにとって、人からまったく認められない、ということほどつらいものはない。 無視されたり、「よけいもの」として扱われることは、人をひどく傷つける。 ◆ 会社で離職率を高める一番いい方法は、「話を聞かない」「無視する」「邪魔者扱いする」「挨拶しない」「罵倒する」等々。 要するに、人を褒めもせず、認めないことだ。 どんないいことをしようが、相手を認めなかったら早晩、人は辞めていく。 ◆その反対が、相手を認め、リスペクトすること。 相手を認める温かい言葉が行きかい、笑顔でお互いを和気あいあいとリスペクトしあうなら、離職や離婚という言葉は死語となる。 最強の「相手を認める言葉」は「ありがとう」という感謝の言葉。 「ありがとう」が簡単に言える人でありたい。 人の心に灯をともす 4月のダイジェスト https://book.streamdb.net/timelines/v/LDXIObEJTb4 Mon, 15 Apr 24 12:14:45 +0900 人の心に灯をともす 4月のダイジェスト 【人生は実験だ】(和田秀樹) https://book.streamdb.net/timelines/v/Cs8uIamsZ24 Mon, 15 Apr 24 11:11:38 +0900 【人生は実験だ】(和田秀樹) 1.脳にはさまざまな部位がありますが、なかでも私たちにとって重要なのは前頭葉です。 大脳皮質と呼ばれる脳の表面部分のうち、40%程度を占める前頭葉は「人間らしい機能を担う部位」ともいわれます。 それは前頭葉が「感情のコントロール」、つまり怒りや不安などを処理してくれる役割を担っているから。 2.加えて、もう一つ前頭葉には「意欲」をうながす役割があります。 脳の中でもこの前頭葉が老化すると、意欲が低下し、感情のコントロールに不調をきたします。 この前頭葉の老化も40代後半から表れ、50代で本格化する人がほとんどです。 画像診断をすると顕著ですが、40~50代で前頭葉がどんどん縮んでいきます。 そう考えると定年を迎える65歳頃には、その劣化具合がどうなっているかは想像に難くないでしょう。 3.前頭葉が縮めば、意欲がなくなる。 「好きな本や映画にどっぷり浸かる」のも億劫になるかもしれません。 感情も劣化するのだから、新たな創作や物語にワクワクし、感動する機会も減っていきます。 「大学に入り直して、学び直す」のは、意欲が衰えていたら、なかなか面倒なことです。 新たな学びの場に飛び込むハードルもうんと高く感じるでしょう。 「起業」のため、ビジネスシーズ(ビジネスの種)を探し、市場のニーズを掘り起こし、仲間を見つけて資金を集める、などという一連の活動も、確実に困難になっているはずです。 4.「66歳になった定年後に......」 「仕事が落ち着いたら......」 「いつか............」 のんきなことを言っているうちに、老化によって体力も意欲も感性も衰える。 気がつけばただただ年老いた自分の姿に愕然として、こう思うのではないでしょうか。 「もっと早く、やっておけばよかった」 やり残すことなく、一度きりの人生を存分に楽しみたかったら、66歳になってから始めるのでは遅い。 やりたいこと、少しでも気になっていることがあれば、まだ体力があり、脳が縮み切らず、意欲も感性も残っている50代の「今」始めるべきなのです。 ◆和田秀樹氏は「人生は実験だ」という。 ●人生は実験である、と私はよく言います。 実験とは、それまでやったことがない何かを試す挑戦のことを指します。 失敗したら別の方法を試してみる。 失敗したらまた別の方法。 それでも失敗したら、さらに別の方法…。 こうして失敗を繰り返す中で、実験の精度が少しずつ上がり、成功に近づいていけます。 ●つまり、限られた人生という時間の中でやってみたいこと、成し遂げたいことがあるならば、あれこれ実験してみるのが正解です。 言い方を換えると、充実した人生には、挑戦して失敗を繰り返すことが不可欠なのです。 ●失敗して、また新たな実験を試みるのには体力が必要です。 まだ体力と意欲がある50代のうちに「やりたいことを始める」必要があると言ったのは、そのためです。 ●失敗してもリカバリーできる50代のうちに、やりたいことを始めて、備えておきたいのです。 ◆漫然と何もせずに年を取るなら、どんな超人であっても、挑戦心や、やる気という「意欲」は衰える。 しかし、40代、50代から意欲のクセづけをしてきた人たちは、年をとっても衰えない。 つまり、「新しいことを始める」ことが習慣になっている人だ。 新しいことを始めるとは、挑戦をくり返すということ。 何度失敗しても、新たにまた挑戦する。 それが何の苦もなくできるように、クセづけをするということ。 ◆「末路晩年(まつろばんねん)、君子宜しく精神百倍すべし」 菜根譚の中の言葉だ。 晩年に差し掛かってからこそ、君子(立派な人、人格者)たるものは精神を百倍にして、気力を振り絞って、生きていかなければならない。 ただでさえ意欲が落ちる晩年は、精神を百倍にするくらいの気持ちでちょうどいい。 「人生は実験だ」という言葉を胸に刻みたい。 【つみかさねの上に咲く花】(坂村真民) https://book.streamdb.net/timelines/v/cKyI2FPMCaM Sun, 14 Apr 24 09:55:16 +0900 【つみかさねの上に咲く花】(坂村真民) ■《念ずる心》 善根熟するまで /念々怠らず精進して /自己を作っておこう /そしたら /春風吹き来った時 /花ひらくことができ /春雨降り来った時 /芽を出すこともできよう ■《つみかさね》 一球一球のつみかさね /一打一打のつみかさね /一歩一歩のつみかさね /一生一坐のつみかさね /一作一作のつみかさね /一念一念のつみかさね /つみかさねの上に 咲く花 /つみかさねの果てに 熟する実 /それは美しく尊く /真の光を放つ ■《動く》動くのだ /停滞してはならぬ /川や /海が /生きているのは /いつも動いて /いるからだ ■《美》 うごいているから /うつくしいのだ ◆「野火焼不尽 春風吹又生」 (白楽天/唐の詩人) 野火(やか)焼けどつきず   春風(しゅんぷう)吹(ふ)いて また生(しょう)ず (野火に焼かれ、草木が一本もない焼け野原でさえ、 春になれば必ず新しい命が芽吹く) 人生には様々な困難や問題がある。 事業の失敗や盛衰。 愛する人との別れや死。 病気や金銭の問題。 子供や友人との問題。 その人に起こる困難は、成長に必要な問題であり、 必ず乗り越えられる問題。 そして、自らに課した問題でもある。 ◆しかし、どんな苦しみや難問も、 その時が過ぎれば、必ずいつか何とかなるものだ。 だからこそ、コツコツと日々精進するのだ。 すべては一歩一歩のつみかさねだから。 そして、動くこと。 動かなければ 物事は一ミリも動かない。 うごいている人はうつくしい。 うごけば… つみかさねの上に花が咲く。 【面白がって、平気に生きる】(樹木希林) https://book.streamdb.net/timelines/v/QGovcB9nMHM Sat, 13 Apr 24 11:21:47 +0900 【面白がって、平気に生きる】(樹木希林) 1.「もっと、もっと」という気持ちをなくすのです。 「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。 自分を俯瞰(ふかん)して、「今、こうしていられるのは大変ありがたいことだ、本来ありえないことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。 もちろん人との比較はしません。  2.これはやはり、病気になってから得た心境でしょうね。 いつ死ぬかわからない。 諦めるというのではなく、こういう状態でもここまで生きて、上出来、上出来。 そのうえ、素敵な作品に声をかけていただけるのですから、本当に幸せです。 (「表紙の私 ありのままで」 2018年5月)  ◆樹木希林氏は2018年9月15日に亡くなった。 75歳だった。 20歳のときに女優デビューし、ロックミュージシャンの内田裕也さんと結婚し、しばしば彼が事件を引き起こしたにもかかわらず、樹木希林さんは「救われたのは私のほう」だと言い切った。 別居生活は40年以上も続いた。 そして2004年に乳がんが見つかってから、亡くなるまで、全身に転移したがんをものともせずに生きた。  ◆喪主(内田裕也・ロック歌手)の代理として、娘の内田也哉子(ややこ)さんが、告別式の挨拶をした。 その中で、母から言われた言葉として次のようなことを話した。 「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」 おごらないこと、威張らないこと、偉そうにしないこと。 人と比べないこと、嫉妬しないこと、ねたまないこと。 面白がること、楽しむこと、好奇心をもつこと。 そして、平気に、一喜一憂せず、淡々と生きていく。 面白がって、平気に生きることができる人でありたい。 【感謝できないのは信号無視と同じ】(斎藤一人) https://book.streamdb.net/timelines/v/411xy5vyL5U Sat, 13 Apr 24 11:18:57 +0900 【感謝できないのは信号無視と同じ】(斎藤一人) 1.どうしても足りない部分ばかりに意識が向いてしまい、今自分が持っているものに感謝できない人っているんです。 ちょっとキツい言い方になって申し訳ないけれど、どうしても自分の現状に感謝できないって、ある意味、無知なんだよね。 ものを知らないの。 楽しいことを考えて、それを「もっと」 と思えば人生は絶対によくなる。 成功できるんです。 そういう知識がないから、現状に感謝できないんだと思うよ。 あるいは、そういう情報に触れても、ちゃんと理解していなかったり。 2.信号が赤だったら止まる。 これは世の中の常識だよね。 それを、止まるための勇気が欲しいとか、どうしたら止まれるでしょうかって。 止まるしかないんだよ(笑)。 赤信号なんだから、止まらないと危ないの(笑)。 信号無視は、誰が何と言おうと危険なんです。 自分の現状に満足しないって、信号無視と同じことなの。 俺にとっては、今ある幸せに感謝するのって、赤信号で止まるのと同じくらい当たり前のことなんです。 3.信号無視をすれば、ケガをしたり、運が悪ければ死んだりすることもあります。 それがわかっていて、なぜ自ら間違った道へ進むんですかって話なんだ。 自分の現状に感謝できないとか、不満を感じるって、俺なんかおっかなくてしょうがないよ。 4.1日の中で、「現状に感謝する気持ち」と「不満や不安」が何度も行ったり来たりしてしまう人の場合はね、慣れの問題だと思います。 普段は人生を楽しめていても、心のどこかに「簡単に考えちゃいけない」「楽しく考えちゃいけない」という思いが残っていると、急に目の前のことを楽しめなくなったりする。 だから、不満や焦りが押し寄せてきて、将来に不安を感じるんです。 5.でもね、大丈夫だよ。 「今の自分でいいんだ」「この幸せに感謝しよう」っていう気持ちを意識し続けていれば、不安を感じる時間もだんだん短くなっていくから。 慣れちゃえば、誰でも絶対に、今の環境に感謝できるようになります。 そして最終的には、一人さんみたいに「24時間、いつでも楽しいよ!」って(笑)。 そうなれるまで、諦めずに自分を変えようとすることだよ。 一生かかってもいいから、「赤信号で止まれる」自分にするんだ。 ◆たとえば、「継続すること」が大事、というと、「どうしたら継続できるでしょうか」とか「継続する勇気が欲しい」という人がいる。 一度も試したことがないのに、やる前から聞いてくる。 「継続する」とか「感謝する」、「笑顔」、「肯定的な言葉を使う」、「チャレンジする」というような、これ以上細かく分解できないようなシンプルな行動の指針は、「やってみるしかない」が答え。 まず、やってみて、失敗したら、またもう一回やってみる。 その繰り返しを何回できるか、だ。 ◆自分を変えようとするときは、行動もせずに、簡単にできる魔法のような秘訣など、この世に一つもない。 頭で考えている人ほど、理屈ばかり言って、行動に移さない。 そして、効率のいいやり方や失敗しない方法を知ろうとする。 「諦めずに自分を変えようとすること」 それは、「信号無視をしてはいけない」と同じくらいの気持ちで、自分を変える習慣を身につけること。 「感謝する」「継続する」「笑顔」… 良き習慣を身につけることができる人でありたい。 【うぬぼれは恐ろしい】 (木村耕一・こういち) https://book.streamdb.net/timelines/v/nWxjtq8y4OY Thu, 11 Apr 24 05:45:11 +0900 【うぬぼれは恐ろしい】 (木村耕一・こういち) 1.《他人より優れていることは、むしろ大きな欠点である。 身分や家柄が高いとか、他人よりも才能があると思っている人は、外見では分からなくても、心の中に「自惚(うぬぼ)れ」という悪が潜んでいる。 人から「バカじゃないか」と見られたり、ひどく非難されたり、災いをも呼び寄せる原因は、ひとえに、この慢心なのだ。 だから、「自分は優れている」ということを忘れるように戒めたほうがよい。》 (徒然草/第百六十七段)  2.意外な指摘である。 他人よりも優れているのは長所ではないのか。 それが、なぜ、欠点になるのだろうか。 確かに優秀な人は仕事ができるかもしれない。 しかし吉田兼好(けんこう)が「心の中に自惚れという悪が潜んでいる」と断言しているように、危険な要素を持っているのだ。  3.まず自信過剰だから、先輩のアドバイスや周囲の声を聞かなくなる。 そんな人には、今以上の向上は望めない。 自分の意見が通らないと怒ってしまい、かってな振る舞いが多くなる。 慢心の塊だから、他人を見下し、バカにし、人間関係のトラブルも多く発生するだろう。 実例を多く見てきた兼好が「自惚れは、恐ろしいぞ」と警告しているのである。  ◆我々は多かれ少なかれ心の底に「うぬぼれ」を持っている。 「これだけは他の人には負けない」「ここが他の人より優れている」「私ってイケてる」等々、自分に酔って慢心するような状況だ。 ただ、これが自分の中だけで収まって、外に出ないならよい。 「自分には価値がある」という、広い意味での自己肯定感だからだ。  ◆しかし、「自分は優れている」という気持ちが少しでも態度に出ると、まわりの人はそれに敏感に反応する。 「なんだ、偉そうに」「その程度の人は他に多くいる(たいしたことないくせに)」「自信過剰な嫌な奴」「慢心している」、と。 「うぬぼれは恐ろしい」という言葉を胸に刻みたい。 【執着から苦しみが生まれる】 (大愚元勝・たいぐげんしょう) https://book.streamdb.net/timelines/v/-uBrQadMXx0 Wed, 10 Apr 24 10:59:10 +0900 【執着から苦しみが生まれる】 (大愚元勝・たいぐげんしょう) 1.【ブッダの言葉】 師は答えた、「子のある者は子につ いて憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない」 (スッタニパータ3) 《執着から苦しみが生まれる》  2.なぜ、この言葉に牛が登場するかというと、インド人にとって牛は財産だからです。 つまり、子どもや財産を持つ者は、子どもと財産のことで悩み、何も持たない者は悩むことはないと、ブッダは説いています。 自分の子どもが大きくなって、言うことを聞かなくなったり勉強ができなかったり、それこそニートになったりすると、親として心の安定が揺らいでしまう人は多いでしょう。  3.一方、「財産はあればあるだけいい」と思うかもしれませんが、増えたり減ったりで一喜一憂してしまいます。 たとえば、「1億円を持っています」 と言っても、戦争などにより、貨幣価値が大きく下がる可能性もあります。 また、土地や家を所有していれば、それらの価値も気になります。 こうした悩みの原因は、子どもも財産も「自分の所有物」だと思い込んで執着しているからです。 さらに、自分でコントロールしたいと考えてるからです。  4.しかし、こうした形のあるものだけに頼るのはとても愚かなことです。 なぜなら、 「諸行無常」という言葉があるように、すべては変わりゆくからです。 形あるものはすべて壊れ、消えてしまいます。 また、子どもにしても配偶者にしても、友だちにしても、あなたの所有物ではありません。 あくまで1人の人間です。 誰しもみな自分の意思があるので、あなたの思う通りになるわけがないのです。  5.ブッダは、「自分の思い通りにならないもの」に対して自分が思うようにコントロールしたいと思い、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。 そうならないためには、自分自身を頼りにし、さらに仏教の教えをよりどころとすることです。  ◆ブッダは、『「苦」の本質は「執着」である』と説いた。 「若さ」に執着するから、「老い」を苦と思う。 「健康」に執着するから、「病気」を苦と思う。 「生命」に執着するから、「死」を苦と思う。 執着とは、「こだわり」や「とらわれ」。 その執着をなくすには、すべてを受け入れること。 現実を受け入れ、すべてを肯定すること。 「若さ」もいいが、「老い」もまたよし、だ。 それを、松下幸之助翁は「好況よし、不況またよし」と言った。  ◆「ああ、そうなりましたか」「そういうことだったんですね」と淡々と受け入れる。 起こることのすべては、「必要、必然、最善」、だからだ。  ◆ブッダが亡くなろうとしているとき、弟子のアーナンダは「ブッダ亡きあと、私たちは何をよりどころとしていけばいいのでしょうか」と尋ねた。 するとブッダは「自灯明(じとうみょう) 法灯明」といった。 自灯明とは、自らをよりどころとしなさい。 自分を信じて、まどわされずに、しっかりと生きていきなさい、と。 法灯明とは、法をよりどころとしなさい。 いつまでも変わらない真理や仏法をよりどころとしなさい、と。 「執着から苦しみが生まれる」という言葉を胸に刻みたい。 【明るい光をなげかける】(小林正観) https://book.streamdb.net/timelines/v/7Z-2XVnP07k Tue, 09 Apr 24 09:38:24 +0900 【明るい光をなげかける】(小林正観) 1.人間には、伝染しやすいものが三つあります。それは、あくび・不機嫌・笑顔です。あくびをしていない人のところに、あくびをしている人が入っていくと、あくびが伝染します。明るく楽しく生きている人の中に、不機嫌な人が入っていくと、不機嫌が伝染します。不機嫌な人の中に、笑顔の人が入っていくと、不機嫌な人に笑顔が伝染していきます。 2.ドイツで生まれた、ゲーテという詩人がいます。彼は詩人のほかに、作家・自然科学研究家をしていました。代表作に戯曲『ファウスト』があります。彼は、人間観察をし続けた結果として「人の最大の罪は不機嫌」と書き残しました。最大の罪は、人殺し・盗むこと・だますことではなく、「不機嫌」なのです。不機嫌の場合、それを直さない限り、周りにいる何百人、何千人へと何度も不愉快を与え続けていることになります。 3.あれが悪い、これが悪いと言っている人は、自分が闇を発しているかもしれないということに、気がついていません。問題を指摘することで周りに暗さを与え、さらに自分も暗くなり不機嫌になることで、口がへの字口になってしまいます。いつも明るい笑顔や、温かい言葉を投げかけて楽しそうにしていることが、周りの人に明るい光を投げかけているということなのです。 ◆「あれが悪い、これが悪い」と言っている人は、自分はまっとうな意見を言っているだけだ、と思っている。自分が不機嫌をまき散らしていることに気づかない。「意見も言っちゃいけないのか」などと逆ギレされたりする。「否定」も同じ。それはたとえば、「でも」「だって」から始まる言葉。 ◆また、小林正観さんは、揶揄(やゆ)、嫌み、皮肉、のことを「刺し言葉」という。チクチクと人の心を刺すからだ。言われた人は、どんどん離れていく。まわりも暗くなり、テンションが下がる。結果として不機嫌となる。「でも」「だって」ではなく、「なるほど」「そうだね」と肯定から始まること。すると、自分もまわりも機嫌がよくなる。いつも笑顔で…不機嫌ではなく、明るい光を投げかける人でありたい。 【人を惹きつける習慣】(井上裕之) https://book.streamdb.net/timelines/v/t4hEpXWsuSU Mon, 08 Apr 24 07:29:09 +0900 【人を惹きつける習慣】(井上裕之) 1.なぜか、人から、好かれる人がいます。なぜか、人から、慕われる人がいます。こういう人たちは、意識的にも無意識的にも次の5つの習慣を行なっています。●1.人を安心させる習慣●2.人から信頼される習慣●3.価値ある自分をつくる習慣●4.人に与える習慣●5.相手に存在価値を感じさせてあげる習慣 2.●安心感を与えられる人は、人から受け入れられます。拒絶されることなく、距離をとられることがありません。短期間で親密な関係になれます。●信頼される人は、言葉の説得力が増します。話を聞き入れてもらえますし、言葉の力で人を動かすことができるようになります。●価値ある人には人が集まってきます。魅力がある人とは、みながつながりたいと思うものです。●人に与える人は、すべてを手に入れます。人は与えられると、お返ししたくなるという原理があります。与えれば与えるほど、人、仕事、お金、情報が集まってきます。●相手に存在価値を感じさせられる人は、相手の心をわしづかみして、放しません。「白分に価値がある」と言ってくれる味方を誰もが欲しいのです。相手にとってあなたは絶対に必要な人間になります。きずなが強まります。 ◆井上氏は「人を動かす3つのステップ」があるという。相手の心をつかむと、影響力が高まり、「あの人が言うことなら、やってみよう」「あの人がやるのなら、協力しよう」「あの人のために、頑張ろう」と、人が動いてくれるからだ。そのためには…「言動一致の人間になる」「約束を守る」「情熱をもって前進する姿を見せる」「継続する」「誰にでも同じように接する」「相手の価値観を受け止める」「逆境にある人に寄りそう」ことが大事だという。 ◆その中でも大事なのが、継続することだ。黙って10年、20年同じことを継続している人には、「信頼感」や「信用力」が蓄積される。これは、まさに「言動一致」でもあり「約束を守る」「情熱をもって前進する姿を見せる」ことでもあるからだ。 ◆「継続」は人から信用を得るための、誰でも実行できる最も身近にして、効果のあがる方法であり習慣だ。華やかな学歴や職歴、あるいは、特別な才能や経験が必要なわけでもなく、続けることだけで得られる最高の才能と言っていい。ブログやSNSを続ける、スポーツや習い事を続ける、勉強会やコミュニティを運営する、等々だ。人を惹きつける習慣を身につけたい。 【ツキのある人は現状肯定型】(舩井幸雄) https://book.streamdb.net/timelines/v/R-2bavUqDB0 Sun, 07 Apr 24 09:55:24 +0900 【ツキのある人は現状肯定型】(舩井幸雄) 1.●《ツキのある人、ツキのない人》たとえばツキのある人は、前向きで攻め型、絶えずニコニコと人相がよく、プラス発想型です。しかし、ツキのない人は、後ろ向きで守り型、しかめっ面の不愉快な顔をしています。これはマイナス発想型です。また、ツキのある人は、現状肯定型で、どんなことも感謝に置き換えます。一方、ツキのない人は、現状否定で批判家ですし、不平不満の大家です。これらは、物事をプラスでとらえるかマイナスでとらえるかということですが、このような尺度で判断すれば企業や人の社会貢献度やツキぐあいがわかります。(人生で一番大切なことは、正しい生き方を「クセづけ」する)より 2.●《大半の人間はマイナス発想型》マイナス発想と、悪口、批判、弁解の名人には、伸びた人はいないといっても過言ではない。しかし、大半の人間が、マイナス発想型であることも事実であり、そのうえ人間は、自己を正当化しなければ安心できない知的動物であるから、他人の悪口や批判、あるいは自己の弁解が大好きなのである。だからこそ、これらの伸びない特性を除去すると、案外簡単に伸びられるともいえよう。(成功のセオリー)より ◆舩井幸雄氏は「肯定」についてこう語る。 ●すべての事柄にプラス発想で取り組み、前向きな心で生きるための条件を具体的に考えてみると、2つの点に集約されるように思います。それは、「現状肯定」と「感謝」です。現状肯定とは、たとえばあなたがリストラの憂き目にあったとします。それは望んだことではないでしょうが、その事実はもう変えられない。そういうとき、その事実を後ろ向きにとらえるのはやめて、そこを出発点として、できるだけ前向きに現状打破に取り組む。そういう姿勢のことです』(法則・サンマーク出版)より ◆「起こることにはすべて意味がある」と考えるのは、現状肯定型でプラス発想だ。起きたことを出発点として、そこから内省(ないせい)し、前向きに行動する。現状肯定型の人は動くが、現状否定型の人は動かない。動かないための言い訳や弁明が、マイナス発想であり、否定だからだ。「ツキのある人は現状肯定型」という言葉を胸に刻みたい。 【惜しみなく与える人】 (常岡一郎) https://book.streamdb.net/timelines/v/XhCHEiNXqYg Sat, 06 Apr 24 19:34:27 +0900 【惜しみなく与える人】 (常岡一郎) 1.けち、出し惜しみ、出ししぶる。 これは愚かな人である。 自分の運命を曇らせている。 ちぢこまらせている。 この世はすべて出したものが自分を守るのである。 汗を出せ。 力をしぼれ。 心をくばれ。 それがやがてゆり戻される。 その鮮やかなくり返しが、新陳代謝の鮮やかさとなる。 これほど天地のめぐみを呼び出す生き方はない。  2.掴(つか)む。 惜しむ。 しぶる。 滞る。 なまける。 欲に溺れる。 これは自分を粗末にする 生き方である。 己から出たものは己にかえります。 人の世は、その人の出したものが形見として残ります。 これが宇宙の法則です。 現在の自分の全体は、過去において自分の出して来たものの記念の姿です。 人はともすれば物が人を守ると思いがちです。 しかし、そのものが守るのではありません。 天の理に添わなかったら、物は何の役にも立ちません。 天の理に逆らってつかんだ物 は、かえって身を滅ぼすことがあります。 ◆「魅(み)は与(よ)によって生(しょう)じ、求(ぐ)によって滅(めっ)す」 という無能唱元師の言葉がある。 魅力というのは、与えることによって生じる、ということ。 人間として一番魅力的な人は、「また会いたいなぁ」と思わせる人。 その反対に、 「会うと嫌な気分になる 」ような人とは、二度と会いたくはない。 また会いたいと思わせる人は、与える人。 魅力ある人は、見返りを求めず、惜しみなく与える。 与える人は、得をさせる人だ。  ◆二度と会いたくない人は、奪う人。 奪う人は、自分のことばかり考えて、ケチくさい。 奪う人は、損をさせる。 この得をさせたり、損をさせたりするのはお金のことだけではない。 得をさせる人は、「優しい言葉」や「気遣いある言葉」という「愛語」や、思いやりや、人を和(なご)ませる「笑顔」がある。 情報や、アイデア、発想や構想、なども聞かれれば惜しみなく与える。  ◆得をさせる人は相手を喜ばす。 損をさせるけち臭い人は、感謝もしないし、返事や、挨拶も出し惜しみをする。 損をさせる人は相手をがっかりさせる。 惜しみなく与える人でありたい。 【徳をつくる】(藤尾秀昭) https://book.streamdb.net/timelines/v/-KSYzn8iUKo Fri, 05 Apr 24 15:59:53 +0900 【徳をつくる】(藤尾秀昭) 1.こういう話を聞いて慄然(りつぜん)としたことがある。 アメリカの家系調査報告に残る記録である。 ジュークは一七二〇年ニューヨーク州に生まれた。 怠惰な無頼漢であった。 一八七七年の調査では、彼の家系は六代を経る中で約千二百人の怠け者、背徳漢、漁色(ぎょしょく)、貧窮、病弱、知的障害、精神病者、犯罪者が生まれた。 この間、三百人が嬰児(えいじ)期に死亡、四百四十人が病的な行為で肉体的に破滅、前科者は百三十人で、六十人が窃盗、七人が殺人。 手に職をつけたのはわずか二十人だった。 2.ジュークと同年代に生まれたJ・エドワードは代表的清教徒で神学者。 一九〇〇年に彼の家系は千三百九十四人を数えた。 そのうち三人が大学総長、六十五人が大学教授および学校長、百人以上が牧師や神学者、七十五人が陸海軍将校、法律家は百人以上、公職についた八十人の中には 副大統領が一人、上院議員が三人、ほかに知事、下院議員、市長、公使などがいる。 十五の鉄道、多数の銀行、保険会社、産業会社などがこの家系の人びとによって運営されていた。 一人の人間の徳の有無がいかに大きな影響を及ぼすか。 私たちは肝に銘じなければならない。 3.安岡正篤師はその著書『人物を修める』で、人間を人間たらしめる要素には本質的要素と付属的要素がある、と説いている。 本質的要素とは 徳性であり、徳性とは明るさ、清(さやけ)さ、人を愛する、尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉、などの貴い心の働きのことである。 それに対して、知識、知能、技能などは徳性の発露を助ける付属的要素である。 しかし、徳の本質的要素が欠如したり希薄に傾けば、付属的要素は偽(ぎ)や奸(かん)や邪(じゃ)に陥る、と教えている。 4.天地の大徳を生という、と『易経』はいう。 人は天から徳を授かってこの世に生まれる。 人は誰でも有徳の子なのである。 だが、耕されない沃野(よくや)が荒野と化すように、陶冶(とうや)がなければは乾涸(ひから)び、涵養(かんよう)されない。 常につくり続けなければ、徳は育たないのだ。 5.では、いかにして徳をつくるか。 田舞徳太郎氏がその近著『人財育成のすすめ』で三項目を挙げている。 1.熱意(自分を磨こう、人の役に立とう、立派な会社をつくろう、といった熱い意志) 2.知識(いくら熱意があっても知識を磨かない者は仕事を全うすることも人間的に成長することもできない) 3.場を生かす(与えられた場でベストを尽くす) がそれである。 この三項目の実践によって徳はつくられる、というのだ。 至言であろう。 ◆ 徳をつくる3つの方法。 1.「成功というものには、いろいろな要素があるが、そのなかでとくに大事なもの、それは熱意だと思う」とデール・カーネギーは言った。 また、松下幸之助翁は、熱意についてこう語っている。 「なまじ知識があると、しゃにむに突進する気迫が、のうなります。しかし“断じてやる”と決めて、やってみれば、案外できるものです。鉄をも溶かす熱意があれば、何とか知恵がわくもんです」 2.そして、知識を磨くとは、学び続けること。 安岡正篤師は「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる」といったという。 3.渡辺和子氏の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がある。 蒔(ま)かれた種は、文句を言わず、その場でただひたすら咲くしかない。 だからこそ、置かれた場所で咲く花は強く美しい。 稲盛和夫氏はそれを「どんな環境にあろうとも 真面目に一所懸命生きること」と言った。 まさに、「場を生かす(与えられた場でベストを尽くす)」ことだ。 徳をつくり、子孫に良き影響を与える人でありたい。 【陽気は美徳】(宇野千代) https://book.streamdb.net/timelines/v/-IELJk_AL2w Thu, 04 Apr 24 07:39:49 +0900 【陽気は美徳】(宇野千代) 【陽気は美徳】(宇野千代) 1.●陽気は美徳、陰気は罪悪というのが、私の作った格言であるが、美徳も罪悪も、そのままの姿ではとどまらない。 すぐそこで、となりの人に感染(うつ)るものである。 どんなに大きな美徳もどんなに小さな美徳も、すぐそばの人に感染る大きな力を持っている。 陰気はどんなに小さな陰気であっても、すべての人に感染るものであるから、夢にも、陰気の気持ちを持ってはならない。 陽気な人が好かれるのは言うまでもない。  2.●実際、人間というのは、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になり易いものですけど、実際にはそんなことはありません。 別の場所では、確かに好(よ)い天気で、きれいな花が一ぱいに咲いているところもあるのです。 ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。 曲がり角を曲がってみる。 「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。  3.●人の心を明るくするのも暗くするのもあなたの発する言葉次第、どうぞ、人にはやわらかな言葉で話してくださいね。 そして、くれぐれも否定語を使わないでくださいね。  4.●みなさん。 どうぞ、みなさんも自分は運の強い人間である、と思ってください。 きっとあなたの思った通りになりますから。  ◆「陽気発する処金石(きんせき)亦透(またとお)る」(朱子語録) 陽気が満ち満ちて発すれば、固い石や金属でさえも突き破ってしまう。 陽気に、積極的に行動すれば、どんな困難も突破できる。 安岡正篤師は「徳とは無類の明るさのことである」といった。 陽気もまた、無類の明るさのこと。 「陽気は美徳」。 まわりに陽気を発すれば、それが徳積みとなる。  ◆「富士山に登る道はいくつもある」 それなのに、登るにはこの道しかないと決めてしまっている人は多い。 その道を行けなくても、他のルートを見つけられる人は、いつか頂上を目指すことができる。 打つ手は無限だからだ。  ◆良寛さんは、「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。それならいくらでもあげることができるから」といった。 口から出る言葉すべてを「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたい、と。  ◆パナソニックの創業者、松下幸之助翁は採用試験で、「君は運がいいか?」と聞いたという。 幸之助翁自身、「自分は運がいい」と常に言っていたからだ。 自分は運がいいと思っている人は、必ず「運」を引き寄せる。 【バイバイの法則】 (斎藤一人) https://book.streamdb.net/timelines/v/aAPknhDx9hg Tue, 02 Apr 24 10:31:42 +0900 【バイバイの法則】 (斎藤一人) 1.●人間は、生きているうちに、いろいろなことに出会います。 あとから考えると、それが全部「自分を成功に導いてくれるチャンス」だということがわかるのです。 だから、何があっても、「チャンスが来た!」と思ってください。 絶対に、「困ったことが来た」と思ってはいけませんよ。 せっかくのチャンスを困ったことに変えないように、注意してくださいね。  2.●幸せになればなるほど、小さな幸せを喜べる。 「幸せ見つけ」の名人が、小さな花にも感激するし、小さな喜びにも感激する。 今日は、こんな小さな幸せに気づけた。 本当に、自分にありがとう!  3.●人生とは「出会い」と「別れ」の連続です。 「来るもの」は来る。 「いなくなるもの」はいなくなる。 「いなくなる人」にきれいにバイバイって言うと、次に「もっといい人」が現れる。 それが「バイバイの法則」といって、まだ私しか知らない法則ですよ。 あなたにだけ、内緒で教えますね。  ◆「幸せは不幸の顔をしてやってくる」という言葉がある。 不運やトラブルが起きたとき、グチや文句、泣き言をいってツイてないと嘆く人は、チャンスの女神と出会うことはできない。 なぜなら、チャンスの女神は、明るくて、前向きで、感謝多き人が好きだから。 本当は、不運やトラブルが起きたとき、そこにはメッセージが隠されている。 メッセージをちゃんと受け止め、それに感謝までできる人に幸運がやってくる。  ◆物事には本当は、幸も不幸もない。 同じものを見ても、それを幸せだと思う人がいて、不幸だと思う人がいるだけだ。 そう思う自分の心があるだけ。 誰もが不幸だと思う出来事の中にさえ、幸せを見つけ出すことができる人がいる。 「幸せ見つけ」の名人だ。 名人は、道端の小さな花にも感激できる。  ◆ 大きなチャンスを逃した、と思ったときがチャンスの時。 執着せずに、諦(あきら)める。 諦めるとは、断念するとか、ギブアップするという意味ではない。 仏教においては、「あきらかにする」「つまびらかにする」というものの道理を明らかにすること。 諦めれば、次のチャンスがやってくる。 これは、「人」もまた同じ。 きれいな別れは次のチャンスを生む。 それが、「バイバイの法則」。 【人も器も不完全だからこそ美しい】 (平野秀典・ひでのり) https://book.streamdb.net/timelines/v/7Z5awUYa8oM Mon, 01 Apr 24 07:36:39 +0900 【人も器も不完全だからこそ美しい】 (平野秀典・ひでのり) 1.一般的には、「もったいない」という日本語を、「無駄になることが惜しい」という意味で理解している方が多いと思います。 「もったいない」を漢字で書くと「勿体ない」になります。 「勿体」の元の意味は、「物のあるべき姿、本来持つ価値、本質的なもの」です。 つまり「勿体ない」とは、「本来の価値がなくなってしまう、または損なわれてしまう」ことを惜しむ言葉なのです。  2.日本人のあり方の原点「清き明(あか)き心」として考えるならば、「人は生まれながらにその身のうちに神様を宿し、美しく清らかな存在である」はずなのに、「異心」に覆われてしまうのは「勿体ない」という意味になります。 標準装備として受け継いできている本来の価値や本質的なもの(=勿体)を忘れたり、使わないのは、文字通りもったいないことなのです。  3.しかしこのような取りもどしたい日本人の感性は、全くなくなったわけではなく、私たちの日常の中に静かに眠っています。 たとえば、本来の価値を再生する「もったいない」文化を受け継ぐ、「金継(きんつ)ぎ」と いう日本独自の技法があります。 欠けた食器などを漆で継ぎ、金などで装飾を施して仕上げる、日本の伝統的な修繕方法です。 着物文化にもある、仕立て直してオリジナルよりも良くする表現力のことです。  4.この「仕立て直す」は、日本人が最も得意とする「熟練の技」として世界に憧れと尊敬を受ける文化なのです。 金継ぎは今、日本を越えて、世界的にも人気を博しています。 ハイエンドファッションブランドが、金継ぎをテーマにした春夏のクチュールを発表したり、映画『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』で、カイロ・レンの壊れたマスクが修復され、再び登場するシーンで、傷跡やヒビが赤いラインで縁取られていたのです。 これは、「再生」というテーマで、日本の金継ぎにインスピレーションを受けたのだそうです。  5.一般社団法人日本金継ぎ協会は、「金継ぎがつなぐ美しい心を和の国から」というキャッチコピーで、和の国日本の文化を表現しています。 そして次のような素晴らしいメッセージを伝えてくれています。 《人も器も不完全だからこそ美しい。 傷跡を隠すのではなく個性として受け入れ、 より輝いていける価値観を 金継ぎを通じて拡げていきます。》 日本人の心に眠る最高価値観 「清き明き心」は、現代においても形を変えて、世界 を魅了するジャパンセンスとして輝きを放っているのです。  ◆日本人のあり方の原点「清き明(あか)き心」とは、卑怯なことをしないで、誠実で、清らかで、明るく、清々しい心のことをいう。 日本人は元々、きたないことを忌(い)み嫌う。 これは、清掃や掃除をするという意味だけでなく、きたない行動も指す。 「きたないこと」を神道では「穢(けが)れ」という。 神道でいう「お祓(はら)い」は、自分についてしまった「罪穢れ」を祓うということ。  ◆神社では、6月30日に「夏越の祓」という神事がある。 その年の1月から6月までの半年間に、知らず知らずにおかしてしまった罪や穢れを祓う祭事だ。 また、12月31日には「師走の大祓」があり、後半の半年間の罪穢れを祓う。  ◆「人も器も不完全だからこそ美しい」 我々一人ひとりが、不完全であることも含め、生まれながらにして本来持っている「清き明き心」。 「勿体ない」という言葉を胸に刻みたい。 【人生は遊びながら年老いてゆく】(寺山修司) https://book.streamdb.net/timelines/v/8t97A2jPHfg Sun, 31 Mar 24 11:10:29 +0900 【人生は遊びながら年老いてゆく】(寺山修司) 1.かもめは飛びながら歌をおぼえ /人生は遊びながら年老いてゆく /遊びはもうひとつの人生である /そこにはめぐり逢いも別れもある /人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる /人はだれでも 遊びという名の劇場をもつことができる /悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ /そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる /遊ぶことは 冒険することであり、 ためすことであり、知ることだったのです  2.人生が終わると、遊びも終わってしまう /しかし、遊びが終わっても人生は終わらない /遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる /出会いと別れのくり返し そこが遊びのいいところなんだね /人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる /そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある /人生が、いちばん安上がりの遊びである /死が、いちばん高くつく遊びである  3.遊びは、人生の時刻表である /人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ /人生は汽車である /旅をしながら年老いてゆく  藤原東演住職は「遊び」についてこう語る。 ●「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。 我を忘れて、無心に遊んでみないか。 仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。 仕事は成果をあげなくてはならない。 「何かのため」という意味づけが不可欠だ。 ところが、遊びは何かのためにという目的がない。 ●その成功とか失敗なんか関係がない。 成果など計算したら、それは遊びではない。 人の評価も気にする必要がない。 ただやることが面白い、楽しいからやるのである。(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)  ◆「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』(今東光) 人生を、道草したり、遠回りしたり、迷ったり、あと戻りしたり、しながら旅をする。 そして、時に、ふざけたり、大騒ぎしたり、それで、怒られたり… でも、それを、面白がって、大笑いしながら、楽しんで生きていく。 それが、遊び。 人生は汽車である  旅をしながら そして、遊びながら年老いてゆく。 【誰と一緒に行くのか】(川田浩志・ひろし) https://book.streamdb.net/timelines/v/LI2jczxYX2Y Sat, 30 Mar 24 10:49:28 +0900 【誰と一緒に行くのか】(川田浩志・ひろし) 1.スウェーデンの首都ストックホルムに住む七五歳以上の市民を対象にした三年間の追跡調査によると、他人とのつながりのない一人暮らしの人は、そうでない人に比べて認知症になるリスクが一・五倍に高まることがわかりました。 2.また、米国在住の六〇歳以上の男女約一六〇〇人を六年間追跡調査したところ、孤独な人は、起き上がったり、歩いたりするなどの、日常生活を営むうえで基本的な身体機能になんらかの障害が生じるリスクが、孤独でない人に比べて一・五倍に増加するという結果が認められました。 3.さらに、世界各国からの一四八個にものぼる調査研究の結果をまとめた計三〇万人以上を対象にした解析研究も報告されています。このような解析方法はメタ解析といって、科学的エビデンスとしてより信頼性の高いものが得られます。そして、そのメタ解析の結果、平均七年半の追跡期間において、他人と強いつながりのない人は、ある人に比べて死亡リスクが一・五倍になるという結果が得られました。 4.このように、知人たちとのつながりは、私たちに生きるパワーを授けてくれているのです。その理由として、以下のことが考えられます。 1.他人と接触することによって頭と身体を刺激する機会が増える 2.知り合いとの交流が自分の健康習慣に良い影響を与える 3.仲間とのつきあいでメンタルストレスが軽減されることで、体内に発生する「ネガティブ物質」の害を受けにくくなる 《人生を楽しんでいる人は、知人たちから生きるパワーを授かっている》 ◆お釈迦さまの十大弟子の一人である、アーナンダがあるとき、お釈迦さまにこう尋ねたという。「ともに仏の道を歩む善き友がいるということは、修行の半ばを達成したと思うのですが、如何でしょうか」するとお釈迦さまは、こう答えた。「善き友、善き仲間がいるということは、修行の半ばではなく、修行のすべてなのだよ」、と。 ◆これは、旅でいうなら、どこへ行くかということより、誰と一緒に行くか、が大事だということ。どこで何を食べるかということより、誰と一緒に食べるのか、が大切。人生もまた同じで、誰と一緒に歩むのか、だ。善き友、善き仲間がいるなら、どこへ行っても、何をしても、何もしなくても、楽しいからだ。「誰と一緒に行くのか」という言葉を胸に刻みたい。 【生きていくには「言葉」が大事】(栗山英樹) https://book.streamdb.net/timelines/v/DKmgJELXqL4 Fri, 29 Mar 24 06:11:37 +0900 【生きていくには「言葉」が大事】(栗山英樹) 1.メジャーリーガーにもたくさんインタビューしましたが、やはり忘れられないのは、ノーラン・ライアンです。メジャーリーグを代表するピッチャーの一人。27年にわたってメジャーでプレーしました。それこそ僕は中学生のとき、ノーラン・ライアンとオジー・スミスという2人の選手の大ファンだったのです。そして僕が引退した翌年、ノーラン・ライアンはなんと7回目のノーヒット・ノーランを達成し、全米中で話題になっていました。 2.彼は、僕が初めて取材したメジャーリーガーでした。当時の『ニュースステーション』で、ノーラン・ライアンに会いたい、と僕は申し出ました。なんともテレビにパワーのあった時代で、その2日後にはアメリカに向かっていました。2泊4日の弾丸取材旅です。ところが、現地で球団広報から、「今は1000件の取材依頼が来ている。受けられない」と言われてしまったのです。途方に暮れながら悶々としていたとき、助け船を出してくれたのが、ノーラン・ライアンの奥さんでした。 3.たまたま球団事務所に来ていて、通訳の人が「この人たちは、わざわざ日本から来たのだ」と紹介してくれたのです。日本からの取材は、まだ珍しい時代でした。それで、「わかった、なんとかしてあげましょう」と言ってもらえたのでした。ノーラン本人に話してくれたのだと思います。翌日、「明日の練習前、ブルペンの横に来なさい」と言ってもらえたのでした。そして、本当にインタビューが実現したのです。 4.このとき、僕は最後にどうしても聞きたかった質問を残していました。それは、「あなたの考えるメジャーリーガーとは?」でした。ノーランは言いました。「メジャーリーグとその下部リーグのマイナーリーグの違いは、年俸や待遇に差があることではなくて、人に影響を与えられるポジションかどうか、ということなんだ。メジャーリーガーは、子どもたちに尊敬されるような行動を心掛けなければいけないし、そのために自分を律する必要もある。たくさんのお金ももらえるし、スターという地位も得られるけれど、その代わりにメジャーリーガーとしての責任を果たさなければいけないんだ」 5.僕は思わず膝を叩きたくなりました。つまりは、人としての生き方、生き様こそが大事、人間性こそが大事なのだ、ということです。立ち居振る舞いも含めて、みんなが憧れるような人でないといけない。人としてちゃんとしていないといけない。野球がうまい以上に。こんなふうに超一流の選手から直接、学びを得ることで、僕は人としての価値観のようなものを確立させていくことができたのでした。 ◆2023年のWBCで世界一になった栗山監督は、1990年にプロ野球の現役を引退してから、テレビのキャスターなどを務め、2011年に北海道日本ハムファイターズの監督を10年経験した。コーチの経験もなく、20年以上もプロ野球の現場を離れていて監督になったのは日本のプロ野球の歴史の中でも初めてのことだったという。 ◆1984年から7年間、ヤクルトスワローズに在籍した選手時代も、華やかな実績があるわけではなかった。甲子園にも出ていないし、大学野球で活躍したわけでもなく、プロテストを受けてのドラフト外での入団だった。入団2年目からは、原因不明のメニエール病とも闘わなくてはならなかった。 ◆栗山英樹氏はこう語る。『そんな実績もない僕がプロ野球の監督になり、侍ジャパンという日本代表の監督まで任され、WBCに挑み、世界一になった。人生は、何が起きるかわからない。こういうことは僕にだけ起こるわけではない、驚くような未来は誰にでも待ち構えている可能性が十分にある、と。』 ◆栗山氏は言葉をとても大事にしている。それは本を読むことによって深まる。特に大事なのは古典だという。古典を読むと、いろいろな偉人たちと一緒に生活しているような感覚が味わえるからだ、と。本を読んでいるときは、常に「言葉」を探している。そして、気になった言葉は書き写し、まわりに書いて貼っておく。そうすると、言葉が頭の中にすっと入ってくるからだ。生きていくには「言葉」は大事。そのためにはノーランの言葉のごとく、「人としての生き方、生き様こそが大事、人間性こそが大事なのだ」ということ。人間性を磨くため…つねに、よき「言葉」とふれあう人生でありたい。 【常に自己を新しく】 (藤尾秀昭) https://book.streamdb.net/timelines/v/yy5Zh-J_vOE Thu, 28 Mar 24 10:17:22 +0900 【常に自己を新しく】 (藤尾秀昭) 1.維新は革命とは違う。 革命は根本からやりかえること、維新はだんだんに日々変化していくこと。 いわば革命は外科手術、維新は内服薬療法で徐々に治していくこと、と伊與田覺著『大学を味読する』は説明している。 『大学』は、こう結ぶ。 「この故に、君子はその極を用いざるなし」 国を清新にするためにはリーダーが停滞せず、常に最善の道、最上の力を用いなければならない、というのである。 現代にも不変のリーダーの心得であろう。  2.国や団体・組織を維新し、繁栄向上に導いていくのは大事だが、さらに大事は自己を維新することだ、と安岡正篤師はいっている。 「宇宙人生は日々夜々(にちにちやや)創造変化、常に停滞することがない。 日に新たに日々に新たなりというのが自然の相であるから、停滞固定は造化に反する。 我われは常に自己を新しくしてゆかねばならない」  ◆安岡正篤師は、常に自己を新しくして、絶えざる創造に生きるための四つの条件を示している。 ●第一は理想を持つこと・・・「太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。理想に向かって、情熱を沸かすことは、日に向かう、太陽を仰ぐということだ。これがないと人間のあらゆる徳が発達せず、したがって才智芸能も発達しない」 ●次は学ぶこと・・・「正しい歴史伝統に従った深い哲理・真理を学び、それに根差さなければ、葉や花と同じことで、四季に従って常に魅力のある生命のみずみずしさを維持していくことはできない」 ●第三は自己陶冶(とうや)・・・「最高の教育を受けた人も、その後の自己陶治を欠いては立派な人間には成り得ない」 ●最後に、くさらないこと・・・換言すれば、あらゆる艱難をはねのけていくバイタリティである。  ◆《理想を持つ》 年を重ねただけでは人は老いない。 理想を失うとき初めて老いる。 ( サミュエル・ウルマン ) 理想を失うとは、挑戦しない、好奇心をなくす、そして、冒険をしなくなることだ。  ◆《学び》 「人は単に年をとるだけではいけない。どこまでも成長しなければならぬ」(平澤興) 成長するとは、学び続けること。  ◆《自己陶冶(とうや)》 《人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに心を引きしめて、人生の晩年の修養に努めねばならぬであろう。》(森信三) 生涯にわたり、自己陶冶という自分を磨き続けることが必要だ。 しかも、晩年になればなるほど、若い頃より何倍も精神を奮い立たせて努力することだ。  ◆《くさらない》 思い通りにものごとが運ばないと、やる気をなくす人がいる。 ふて腐ったり、投げやりになったり、くさったり。 そのために必要なのが「発憤(はっぷん)」。 なにくそ、負けてたまるか、という「憤」の一字が必要だ。 【すべてはご縁から成り立っている】(小林正観) https://book.streamdb.net/timelines/v/IBTncSjDVZY Wed, 27 Mar 24 11:04:45 +0900 【すべてはご縁から成り立っている】(小林正観) 1.お釈迦様は六年間山に籠もって、滝に打たれたり、岩の上に座ったり、蚊に刺されたりして、ずいぶん我慢して難行苦行をしてきたんですけど、山から下りてきて「何の役にも立たなかった」と言った。それで竹林の中に入って結跏趺坐をして瞑想をしていたところ、一週間たって、「私は悟った」と叫んだ。それが、十二月八日の朝日を浴びたときだった。 2.それから、三キロぐらい離れたところまで歩いて行きました。そこにはお釈迦様が若い頃からそのときはまだ三十五歳と八ヶ月だったのですがずっと一緒に修行をして、真理に達したい、真理を知りたいなどと思ってきた学友五人が、ある竹林の中で結跏趺坐をして瞑想、座禅をしていた。そこまで歩いて行きまして、お釈迦様は「今日、私はあることを悟った。みなさん聞いてくれるか」と言った。 3.そうしたらその五人の友人たちは、「何があったんだよ、ゴータマ君」と君づけで呼んだそうです。それはそうですよね。いままでずっと一緒に苦しんで、その道を求めてきた人たちですから。そのときにお釈迦様が、これこれこういうことを悟ったと言ったら、わずか二、三分の話だったんですが、その話を聞いた五人が、突然に居ずまいを正して、お釈迦様の前に座り直してこう言った。「私たちは、いまこの瞬間から、あなたを師匠として、私たちは弟子として、あなたに従っていきます」 4.それが、お釈迦様の最初の悟りであり、最初の説教であり、最初にできた五人の弟子なんだそうです。お釈迦様は、一週間の座禅瞑想の結果として、どんなことを悟ったのか。その五人の学友に言ったことというのは、何だったのか。こういうことだったんです。 5.人の人生というのは、すべてが「縁起」によって・・・縁起というのは、自分以外の因果関係、人、事、物、現象、神、仏だそうです・・・組み立てられているがゆえに、すなわち自分以外のすべての存在から組み立てられているがゆえに、自分の思いどおりに自分の人生がつくれると思っている人間は、必ず苦悩する。実は、自分の思いによって自分の人生をつくっているということは、まったくないのだと言った。 6.だから、ちょっとでも自分の意思によって自分の人生が成り立っている、成り立たせることができるというふうに考えている人間、そういう思いをもっている者は必ず苦悩する。苦悩の根源とは、思いであるということを言ったんだそうです。 ◆お釈迦様は「一切皆苦(いっさいかいく)」と言った。すべてのことは、みな「苦」である、と。お釈迦様のいう「苦」とは、思い通りにならないこと。お釈迦様は、目の前に起こることすべてが、「縁」でできているという。起こることはすべて、自分の力や、努力や、思いや、夢や目標でもなく、すべて偶然に起こる「ご縁」から始まる。 ◆学校に入ったことも、会社に入ったことも、結婚したことも、自治会やPTAの役を受けたことも、さかのぼって考えてみると、すべてが何かのご縁。自分の努力で入ったと思った学校も、ずっとさかのぼってみると、何かのご縁から始まっている。「縁起」という、自分以外のすべての存在から組み立てられている。だからこそ、自分の思い通りにはならない。 ◆すべてのことは、「自分の力によるものではない」と思うなら、それは「おかげさま」であり「感謝」しかなくなる。「すべてはご縁から成り立っている」という言葉を胸に刻みたい。 【豊かな人生の後半生を送るために】(齋藤孝) https://book.streamdb.net/timelines/v/a1TDzmcU-sw Tue, 26 Mar 24 08:09:50 +0900 【豊かな人生の後半生を送るために】(齋藤孝) 1.豊かな人生の後半を送るためには、どうしたらいいでしょう?一つは、やはりお金が大事です。ある程度の蓄えや備えが必要になります。年金以外に、株やNISAなどの投資信託で運用したり、いざという時のための保険に入っている方も多いでしょう。しかし大切なのはお金だけではありません。たとえ蓄えが十二分にあったとしても、この年代の生き方や考え方を間違えると、思わぬ落とし穴に落ちる可能性があります。 2.一番の問題は、60代に入ると、多くの人にとってそれまでの社会的な立場が大きく変わってしまうということです。それまではバリバリ働き、上司として部下を従えていた。ところが定年を迎えると、その肩書、立場が一気に失われてしまいます。自分に対する周囲の評価が大きく変わってしまう。雇用継続を選択しても、給料は激減してしまう。そこで自信を失ったり、やる気や目標を見失ってしまう人もいます。 3.人生のステージが変わったとき、大事になるのが「切り替え」です。車で言うならギアチェンジです。これまではビジネスの世界で、厳しい競争の中でどうにか勝ち上がろう、生き残ろうと頑張ってきた。それとはまた違った価値観で生きる時間が始まるわけです。それにうまく対応できないと、その先の人生がとても生きづらくなってしまう。 4.市民講座などに参加している女性から聞いた話ですが、講座には定年を迎えた男性も多く参加しているそうです。ただ、最初の自己紹介でやたらと昔の会社の肩書や自慢話をする人が多いとか。「自分のこれまでの活躍ぶりを知って欲しい、仕事一筋でやってきたから、それが一番の自己紹介なのだから」という思いからでしょうが、華々しい経歴だったとしても、そういう挨拶を聞いただけで、距離を置きたくなるそうです。親しくなるために自己紹介をしているのに、いきなり警戒あるいは嫌悪されてしまう。恐ろしい話ですね。 5.しかし、誰にとっても決して他人事ではありません。こういう男性はえてしてプライドが高く、頑固で柔軟性がないため、話をしていてもつまらないことが多いのです。結果として周囲から距離を置かれるので、本人はますます不機嫌になる。「こういう人に限って怒りっぽく、トラブルメーカーになる可能性が高いんです」と、その女性は話していました。私も講師経験があるのでイメージできます。 6.いっぽうで、定年後の人生を、それまでの価値観に縛られず自由に謳歌している人もいます。そういう人は過去を振り返らず、前向きで明るい。やはり、人生のギアチェンジが必要なのです。競争社会の中でがむしゃらに頑張り、評価を得てきた人こそ、ギアを入れ直す必要があります。 ◆齋藤孝氏は、人生の後半生には「ブッダの教え」が重要になるという。たとえば…■悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。■まず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。■ことばを慎み、心を落ち着けて慎み、身に悪を為してはならない。■身について慎むのは善い。ことばについて慎むのは善い。心について慎むのは善い。あらゆることについて慎むことは善いことである。 ◆自己をととのえ、慎みを持つことが大事だとブッダは言っている。慎みの反対は「貪(むさぼ)り」。過去を振り返らず、常に前に向かって進むには、生きている限り学び続けることが必要となる。「人生のギヤチェンジをすること」豊かな人生の後半を送るため…いくつになっても、学び続ける人でありたい。 【難ある人生は、有難い】(ひすいこたろう) https://book.streamdb.net/timelines/v/EA60qC_uziQ Mon, 25 Mar 24 07:08:35 +0900 【難ある人生は、有難い】(ひすいこたろう) 1.「人生とは 嵐が去るのを待つ場所ではなく 雨の中でもダンスをして楽しむことを学ぶ場所である」 (ヴィヴィアン・グリーン/アメリカの作家)  2.漫画家として、描いても描いてもボツになる。 自分は才能がなかったのかもしれないと挫折し、部屋で立ち上がる気力もなくなった・・・。としたら、それは最悪の日ですか? 実は、その最悪の日に、運命が変わって描きあげたのが尾田栄一郎さんの国民的人気漫画『ONE PIECE』(集英社)です。  3.「余命5年です!」と宣告されるって、それは確実に人生最悪の日ですよね? 実際にそう宣告されたのは孫正義さんで、それがきっかけで、自分は何を一番大事にして生きたらいいのかに覚醒して、その後のソフトバンクの快進撃が生まれたってご存知でしたか?  4.「ボクは何をやらせてもおそいし、頭もよくないから、普通の人が3日でわかることが30年ぐらいかかってやっとわかったりします。いまでも勉強している事がありますが、何年やってもほんの少しも進歩しないのでおかしくて笑ってしまいます」と語るのは、50歳まで失意と絶望の連続だったという『アンパンマン』を描いた、やなせたかしさんです。 普通の人が3日でわかることが30年かかるって、人生大変そうじゃないですか?  5.「カンパニーぜよー!」と意気込んで、ようやく手に入れた船で初船出を果たしたと思ったら、天下の徳川御三家の船と衝突して、船が沈んでしまうって、人生最悪の日ですよね? しかし、坂本龍馬はその事件で億を超えるお金を手にする流れを作りました。  6.作家を目指すも本を出してくれる出版社はなくて、自費で作ったものの全く売れなかった。 作家を目指す者としては最悪の日々だといえますよね? これは、文豪・宮沢賢治の人生です。  7.偉人の伝記を読むとわかります。 最悪は、不幸じゃない。 最悪は、新しい自分が始まる日であると。 最悪は、自分の人生が、想像を超えて面白くなる兆し。 偉人伝を読むと、このときの不幸があったおかげで、未来にこういう幸せがくるのかと、人生を俯瞰する視線が立ち上がるのです。 偉人たちは教えてくれます。 難が何も無いと、無難な人生になる。 難が有る人生は、有難い人生となると。  ◆小林正観さんはこう語る。 『「幸せを見せてください」と言われた神さまは、まず思いっきり右側に振り子を振ります。 そして私たちが、「もう耐えきれない、ギブアップ」と言うと、神さまはその振り子から手を離します。 振り子は勢いがついて、真ん中を通り越して、大きく左側 (幸せ)に行きます。 そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。』  ◆「陰極まって陽に転ずる」 という言葉がある。 株の用語で「陰の極」というが、相場が下がり続け、これ以上下げようがない状態をいう。 その時こそが、絶好の買い場だと言われる。 なぜなら、そこからは上がるしかないからだ。 「運」も同じで、不運の方に目いっぱい振れたとき、振り子の原理で、そこからは「幸運」の方に振れる。 不運なときやダメなときに「運がたまっている」状態だ。 難ある人生は、有難い。 【殖やさなければ減るのがお金】(渡部昇一) https://book.streamdb.net/timelines/v/8Wq7poOzUI0 Sun, 24 Mar 24 07:26:26 +0900 【殖やさなければ減るのがお金】(渡部昇一) 1.ロックフェラーといえば金持ちの代名詞になっているような大富豪だが、彼にはモットーがあった。 それは、 「うんと稼ぎ、うんと貯め、うんと寄付せよ」 という言葉で表現される。 これが彼の一生を貫いたモットーであったから、ロックフェラーは、月給が二十五円のころから月々キチンと貯金をし、それと同時に毎週二銭ずつ教会に寄付することを忘れなかった。 2.彼は一生で五十億円(昭和八年の貨幣価値で)稼ぎ、そのうちの三十億円を寄付し、財産は二十億円ぐらいあったといわれている。 貯めたお金よりも寄付をしたお金のほうが多かったのである。 彼が石油業を始めて間もなくのころ、ハンティングトンという兄弟の屋根葺き職人が、ロックフェラーの石油タンクの屋根をつくった。 そのとき、その代金の支払方法で問題が起こった。  3.ロックフェラーは兄弟に一つの提案をした。 「現金で払ってあげてもいいけれど、それではすぐになくなってしまうから、それだけの 額面の石油会社の株をあげよう」 ところが職人の兄弟は、喉から手が出るほど現金が欲しかったから、この申し出を断った。 しかし、ロックフェラーは真剣に真面目に兄弟に説いた。 「金は儲けたらすぐ貯めることを考えなきゃ駄目ですよ。いいですか。殖やさなければ減るのが金の性質なんですよ」  4.あまりロックフェラーがしつこくいうので、兄のジョンのほうはとうとう口説き落とされて、渋々株を受け取ることを承知した。 だが、弟のハッフは激しい口論ののち、ついに頑張り通して現金を受け取った。 それから二十年が過ぎた。 現金を受け取った弟のハッフはいつまでたっても昔のままの屋根職人であったが、兄のジョンはすでに百万長者になっていた。  5.お金とは実に不思議なものである。 同じ年に入社した社員に同じように給料をもらっていても、十年、十五年、二十年と時間が経過すると、ある人は家を建てているし、ある人は貯金もなくていつもピーピーしている。 結局のところ、ロックフェラーの指摘するように、お金というものは黙って何もしないでいれば減っていくのがその性質のようである。 殖やそうとしなければ減るものなのである。 このロックフェラーの教えを知ると知らないとでは、その人の人生は大きく姿を変えることになるだろう。 貴重な教えとして耳を傾けたいものである。 《殖やさなければ減るのが金の性質である》  ■ロックフェラー/アメリカの大富豪。一会社員から身を起こして世界の石油王になる。幼少より信仰に篤く、 公共事業等に多大な貢献をなした。 (1839~1937)  ◆「入(い)るを量(はか)りて出ずるを為(な)す」 という言葉がある。 収入の額を計算して、それに見合った支出を心がける。 つまり、収入以上にお金を使ってはダメだということ。 あたりまえの話だが、どんなにたくさん稼(かせ)いだとしても、それ以上に使ってしまったら、お金はたまらず、借金が増えるばかりだ。  ◆これは、個人でも会社でも同じことが言える。 とかく、我々は、どうしても欲しいものがあったとき、それ以上に稼げばいいと思ってしまう。 しかし、それは順序が逆なのだ。 「殖やさなければ減るのがお金」という言葉を胸に刻みたい。