人の心に灯をともすYouTube3分動画

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【明るい光をなげかける】(小林正観)

【明るい光をなげかける】(小林正観)

1.人間には、伝染しやすいものが三つあります。それは、あくび・不機嫌・笑顔です。あくびをしていない人のところに、あくびをしている人が入っていくと、あくびが伝染します。明るく楽しく生きている人の中に、不機嫌な人が入っていくと、不機嫌が伝染します。不機嫌な人の中に、笑顔の人が入っていくと、不機嫌な人に笑顔が伝染していきます。 2.ドイツで生まれた、ゲーテという詩人がいます。彼は詩人のほかに、作家・自然科学研究家をしていました。代表作に戯曲『ファウスト』があります。彼は、人間観察をし続けた結果として「人の最大の罪は不機嫌」と書き残しました。最大の罪は、人殺し・盗むこと・だますことではなく、「不機嫌」なのです。不機嫌の場合、それを直さない限り、周りにいる何百人、何千人へと何度も不愉快を与え続けていることになります。 3.あれが悪い、これが悪いと言っている人は、自分が闇を発しているかもしれないということに、気がついていません。問題を指摘することで周りに暗さを与え、さらに自分も暗くなり不機嫌になることで、口がへの字口になってしまいます。いつも明るい笑顔や、温かい言葉を投げかけて楽しそうにしていることが、周りの人に明るい光を投げかけているということなのです。 ◆「あれが悪い、これが悪い」と言っている人は、自分はまっとうな意見を言っているだけだ、と思っている。自分が不機嫌をまき散らしていることに気づかない。「意見も言っちゃいけないのか」などと逆ギレされたりする。「否定」も同じ。それはたとえば、「でも」「だって」から始まる言葉。 ◆また、小林正観さんは、揶揄(やゆ)、嫌み、皮肉、のことを「刺し言葉」という。チクチクと人の心を刺すからだ。言われた人は、どんどん離れていく。まわりも暗くなり、テンションが下がる。結果として不機嫌となる。「でも」「だって」ではなく、「なるほど」「そうだね」と肯定から始まること。すると、自分もまわりも機嫌がよくなる。いつも笑顔で…不機嫌ではなく、明るい光を投げかける人でありたい。
2024年04月09日
00:00:00 - 00:02:19
【人を惹きつける習慣】(井上裕之)

【人を惹きつける習慣】(井上裕之)

1.なぜか、人から、好かれる人がいます。なぜか、人から、慕われる人がいます。こういう人たちは、意識的にも無意識的にも次の5つの習慣を行なっています。●1.人を安心させる習慣●2.人から信頼される習慣●3.価値ある自分をつくる習慣●4.人に与える習慣●5.相手に存在価値を感じさせてあげる習慣 2.●安心感を与えられる人は、人から受け入れられます。拒絶されることなく、距離をとられることがありません。短期間で親密な関係になれます。●信頼される人は、言葉の説得力が増します。話を聞き入れてもらえますし、言葉の力で人を動かすことができるようになります。●価値ある人には人が集まってきます。魅力がある人とは、みながつながりたいと思うものです。●人に与える人は、すべてを手に入れます。人は与えられると、お返ししたくなるという原理があります。与えれば与えるほど、人、仕事、お金、情報が集まってきます。●相手に存在価値を感じさせられる人は、相手の心をわしづかみして、放しません。「白分に価値がある」と言ってくれる味方を誰もが欲しいのです。相手にとってあなたは絶対に必要な人間になります。きずなが強まります。 ◆井上氏は「人を動かす3つのステップ」があるという。相手の心をつかむと、影響力が高まり、「あの人が言うことなら、やってみよう」「あの人がやるのなら、協力しよう」「あの人のために、頑張ろう」と、人が動いてくれるからだ。そのためには…「言動一致の人間になる」「約束を守る」「情熱をもって前進する姿を見せる」「継続する」「誰にでも同じように接する」「相手の価値観を受け止める」「逆境にある人に寄りそう」ことが大事だという。 ◆その中でも大事なのが、継続することだ。黙って10年、20年同じことを継続している人には、「信頼感」や「信用力」が蓄積される。これは、まさに「言動一致」でもあり「約束を守る」「情熱をもって前進する姿を見せる」ことでもあるからだ。 ◆「継続」は人から信用を得るための、誰でも実行できる最も身近にして、効果のあがる方法であり習慣だ。華やかな学歴や職歴、あるいは、特別な才能や経験が必要なわけでもなく、続けることだけで得られる最高の才能と言っていい。ブログやSNSを続ける、スポーツや習い事を続ける、勉強会やコミュニティを運営する、等々だ。人を惹きつける習慣を身につけたい。
2024年04月08日
00:00:00 - 00:02:55
【ツキのある人は現状肯定型】(舩井幸雄)

【ツキのある人は現状肯定型】(舩井幸雄)

1.●《ツキのある人、ツキのない人》たとえばツキのある人は、前向きで攻め型、絶えずニコニコと人相がよく、プラス発想型です。しかし、ツキのない人は、後ろ向きで守り型、しかめっ面の不愉快な顔をしています。これはマイナス発想型です。また、ツキのある人は、現状肯定型で、どんなことも感謝に置き換えます。一方、ツキのない人は、現状否定で批判家ですし、不平不満の大家です。これらは、物事をプラスでとらえるかマイナスでとらえるかということですが、このような尺度で判断すれば企業や人の社会貢献度やツキぐあいがわかります。(人生で一番大切なことは、正しい生き方を「クセづけ」する)より 2.●《大半の人間はマイナス発想型》マイナス発想と、悪口、批判、弁解の名人には、伸びた人はいないといっても過言ではない。しかし、大半の人間が、マイナス発想型であることも事実であり、そのうえ人間は、自己を正当化しなければ安心できない知的動物であるから、他人の悪口や批判、あるいは自己の弁解が大好きなのである。だからこそ、これらの伸びない特性を除去すると、案外簡単に伸びられるともいえよう。(成功のセオリー)より ◆舩井幸雄氏は「肯定」についてこう語る。 ●すべての事柄にプラス発想で取り組み、前向きな心で生きるための条件を具体的に考えてみると、2つの点に集約されるように思います。それは、「現状肯定」と「感謝」です。現状肯定とは、たとえばあなたがリストラの憂き目にあったとします。それは望んだことではないでしょうが、その事実はもう変えられない。そういうとき、その事実を後ろ向きにとらえるのはやめて、そこを出発点として、できるだけ前向きに現状打破に取り組む。そういう姿勢のことです』(法則・サンマーク出版)より ◆「起こることにはすべて意味がある」と考えるのは、現状肯定型でプラス発想だ。起きたことを出発点として、そこから内省(ないせい)し、前向きに行動する。現状肯定型の人は動くが、現状否定型の人は動かない。動かないための言い訳や弁明が、マイナス発想であり、否定だからだ。「ツキのある人は現状肯定型」という言葉を胸に刻みたい。
2024年04月07日
00:00:00 - 00:02:17
【惜しみなく与える人】 (常岡一郎)

【惜しみなく与える人】 (常岡一郎)

1.けち、出し惜しみ、出ししぶる。 これは愚かな人である。 自分の運命を曇らせている。 ちぢこまらせている。 この世はすべて出したものが自分を守るのである。 汗を出せ。 力をしぼれ。 心をくばれ。 それがやがてゆり戻される。 その鮮やかなくり返しが、新陳代謝の鮮やかさとなる。 これほど天地のめぐみを呼び出す生き方はない。  2.掴(つか)む。 惜しむ。 しぶる。 滞る。 なまける。 欲に溺れる。 これは自分を粗末にする 生き方である。 己から出たものは己にかえります。 人の世は、その人の出したものが形見として残ります。 これが宇宙の法則です。 現在の自分の全体は、過去において自分の出して来たものの記念の姿です。 人はともすれば物が人を守ると思いがちです。 しかし、そのものが守るのではありません。 天の理に添わなかったら、物は何の役にも立ちません。 天の理に逆らってつかんだ物 は、かえって身を滅ぼすことがあります。 ◆「魅(み)は与(よ)によって生(しょう)じ、求(ぐ)によって滅(めっ)す」 という無能唱元師の言葉がある。 魅力というのは、与えることによって生じる、ということ。 人間として一番魅力的な人は、「また会いたいなぁ」と思わせる人。 その反対に、 「会うと嫌な気分になる 」ような人とは、二度と会いたくはない。 また会いたいと思わせる人は、与える人。 魅力ある人は、見返りを求めず、惜しみなく与える。 与える人は、得をさせる人だ。  ◆二度と会いたくない人は、奪う人。 奪う人は、自分のことばかり考えて、ケチくさい。 奪う人は、損をさせる。 この得をさせたり、損をさせたりするのはお金のことだけではない。 得をさせる人は、「優しい言葉」や「気遣いある言葉」という「愛語」や、思いやりや、人を和(なご)ませる「笑顔」がある。 情報や、アイデア、発想や構想、なども聞かれれば惜しみなく与える。  ◆得をさせる人は相手を喜ばす。 損をさせるけち臭い人は、感謝もしないし、返事や、挨拶も出し惜しみをする。 損をさせる人は相手をがっかりさせる。 惜しみなく与える人でありたい。
2024年04月06日
00:00:00 - 00:02:27
【徳をつくる】(藤尾秀昭)

【徳をつくる】(藤尾秀昭)

1.こういう話を聞いて慄然(りつぜん)としたことがある。 アメリカの家系調査報告に残る記録である。 ジュークは一七二〇年ニューヨーク州に生まれた。 怠惰な無頼漢であった。 一八七七年の調査では、彼の家系は六代を経る中で約千二百人の怠け者、背徳漢、漁色(ぎょしょく)、貧窮、病弱、知的障害、精神病者、犯罪者が生まれた。 この間、三百人が嬰児(えいじ)期に死亡、四百四十人が病的な行為で肉体的に破滅、前科者は百三十人で、六十人が窃盗、七人が殺人。 手に職をつけたのはわずか二十人だった。 2.ジュークと同年代に生まれたJ・エドワードは代表的清教徒で神学者。 一九〇〇年に彼の家系は千三百九十四人を数えた。 そのうち三人が大学総長、六十五人が大学教授および学校長、百人以上が牧師や神学者、七十五人が陸海軍将校、法律家は百人以上、公職についた八十人の中には 副大統領が一人、上院議員が三人、ほかに知事、下院議員、市長、公使などがいる。 十五の鉄道、多数の銀行、保険会社、産業会社などがこの家系の人びとによって運営されていた。 一人の人間の徳の有無がいかに大きな影響を及ぼすか。 私たちは肝に銘じなければならない。 3.安岡正篤師はその著書『人物を修める』で、人間を人間たらしめる要素には本質的要素と付属的要素がある、と説いている。 本質的要素とは 徳性であり、徳性とは明るさ、清(さやけ)さ、人を愛する、尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉、などの貴い心の働きのことである。 それに対して、知識、知能、技能などは徳性の発露を助ける付属的要素である。 しかし、徳の本質的要素が欠如したり希薄に傾けば、付属的要素は偽(ぎ)や奸(かん)や邪(じゃ)に陥る、と教えている。 4.天地の大徳を生という、と『易経』はいう。 人は天から徳を授かってこの世に生まれる。 人は誰でも有徳の子なのである。 だが、耕されない沃野(よくや)が荒野と化すように、陶冶(とうや)がなければは乾涸(ひから)び、涵養(かんよう)されない。 常につくり続けなければ、徳は育たないのだ。 5.では、いかにして徳をつくるか。 田舞徳太郎氏がその近著『人財育成のすすめ』で三項目を挙げている。 1.熱意(自分を磨こう、人の役に立とう、立派な会社をつくろう、といった熱い意志) 2.知識(いくら熱意があっても知識を磨かない者は仕事を全うすることも人間的に成長することもできない) 3.場を生かす(与えられた場でベストを尽くす) がそれである。 この三項目の実践によって徳はつくられる、というのだ。 至言であろう。 ◆ 徳をつくる3つの方法。 1.「成功というものには、いろいろな要素があるが、そのなかでとくに大事なもの、それは熱意だと思う」とデール・カーネギーは言った。 また、松下幸之助翁は、熱意についてこう語っている。 「なまじ知識があると、しゃにむに突進する気迫が、のうなります。しかし“断じてやる”と決めて、やってみれば、案外できるものです。鉄をも溶かす熱意があれば、何とか知恵がわくもんです」 2.そして、知識を磨くとは、学び続けること。 安岡正篤師は「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる」といったという。 3.渡辺和子氏の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がある。 蒔(ま)かれた種は、文句を言わず、その場でただひたすら咲くしかない。 だからこそ、置かれた場所で咲く花は強く美しい。 稲盛和夫氏はそれを「どんな環境にあろうとも 真面目に一所懸命生きること」と言った。 まさに、「場を生かす(与えられた場でベストを尽くす)」ことだ。 徳をつくり、子孫に良き影響を与える人でありたい。
2024年04月05日
00:00:00 - 00:02:56
【陽気は美徳】(宇野千代)

【陽気は美徳】(宇野千代)

【陽気は美徳】(宇野千代) 1.●陽気は美徳、陰気は罪悪というのが、私の作った格言であるが、美徳も罪悪も、そのままの姿ではとどまらない。 すぐそこで、となりの人に感染(うつ)るものである。 どんなに大きな美徳もどんなに小さな美徳も、すぐそばの人に感染る大きな力を持っている。 陰気はどんなに小さな陰気であっても、すべての人に感染るものであるから、夢にも、陰気の気持ちを持ってはならない。 陽気な人が好かれるのは言うまでもない。  2.●実際、人間というのは、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になり易いものですけど、実際にはそんなことはありません。 別の場所では、確かに好(よ)い天気で、きれいな花が一ぱいに咲いているところもあるのです。 ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。 曲がり角を曲がってみる。 「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。  3.●人の心を明るくするのも暗くするのもあなたの発する言葉次第、どうぞ、人にはやわらかな言葉で話してくださいね。 そして、くれぐれも否定語を使わないでくださいね。  4.●みなさん。 どうぞ、みなさんも自分は運の強い人間である、と思ってください。 きっとあなたの思った通りになりますから。  ◆「陽気発する処金石(きんせき)亦透(またとお)る」(朱子語録) 陽気が満ち満ちて発すれば、固い石や金属でさえも突き破ってしまう。 陽気に、積極的に行動すれば、どんな困難も突破できる。 安岡正篤師は「徳とは無類の明るさのことである」といった。 陽気もまた、無類の明るさのこと。 「陽気は美徳」。 まわりに陽気を発すれば、それが徳積みとなる。  ◆「富士山に登る道はいくつもある」 それなのに、登るにはこの道しかないと決めてしまっている人は多い。 その道を行けなくても、他のルートを見つけられる人は、いつか頂上を目指すことができる。 打つ手は無限だからだ。  ◆良寛さんは、「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。それならいくらでもあげることができるから」といった。 口から出る言葉すべてを「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたい、と。  ◆パナソニックの創業者、松下幸之助翁は採用試験で、「君は運がいいか?」と聞いたという。 幸之助翁自身、「自分は運がいい」と常に言っていたからだ。 自分は運がいいと思っている人は、必ず「運」を引き寄せる。
2024年04月04日
00:00:00 - 00:02:54
【バイバイの法則】 (斎藤一人)

【バイバイの法則】 (斎藤一人)

1.●人間は、生きているうちに、いろいろなことに出会います。 あとから考えると、それが全部「自分を成功に導いてくれるチャンス」だということがわかるのです。 だから、何があっても、「チャンスが来た!」と思ってください。 絶対に、「困ったことが来た」と思ってはいけませんよ。 せっかくのチャンスを困ったことに変えないように、注意してくださいね。  2.●幸せになればなるほど、小さな幸せを喜べる。 「幸せ見つけ」の名人が、小さな花にも感激するし、小さな喜びにも感激する。 今日は、こんな小さな幸せに気づけた。 本当に、自分にありがとう!  3.●人生とは「出会い」と「別れ」の連続です。 「来るもの」は来る。 「いなくなるもの」はいなくなる。 「いなくなる人」にきれいにバイバイって言うと、次に「もっといい人」が現れる。 それが「バイバイの法則」といって、まだ私しか知らない法則ですよ。 あなたにだけ、内緒で教えますね。  ◆「幸せは不幸の顔をしてやってくる」という言葉がある。 不運やトラブルが起きたとき、グチや文句、泣き言をいってツイてないと嘆く人は、チャンスの女神と出会うことはできない。 なぜなら、チャンスの女神は、明るくて、前向きで、感謝多き人が好きだから。 本当は、不運やトラブルが起きたとき、そこにはメッセージが隠されている。 メッセージをちゃんと受け止め、それに感謝までできる人に幸運がやってくる。  ◆物事には本当は、幸も不幸もない。 同じものを見ても、それを幸せだと思う人がいて、不幸だと思う人がいるだけだ。 そう思う自分の心があるだけ。 誰もが不幸だと思う出来事の中にさえ、幸せを見つけ出すことができる人がいる。 「幸せ見つけ」の名人だ。 名人は、道端の小さな花にも感激できる。  ◆ 大きなチャンスを逃した、と思ったときがチャンスの時。 執着せずに、諦(あきら)める。 諦めるとは、断念するとか、ギブアップするという意味ではない。 仏教においては、「あきらかにする」「つまびらかにする」というものの道理を明らかにすること。 諦めれば、次のチャンスがやってくる。 これは、「人」もまた同じ。 きれいな別れは次のチャンスを生む。 それが、「バイバイの法則」。
2024年04月02日
00:00:00 - 00:02:29
【人も器も不完全だからこそ美しい】 (平野秀典・ひでのり)

【人も器も不完全だからこそ美しい】 (平野秀典・ひでのり)

1.一般的には、「もったいない」という日本語を、「無駄になることが惜しい」という意味で理解している方が多いと思います。 「もったいない」を漢字で書くと「勿体ない」になります。 「勿体」の元の意味は、「物のあるべき姿、本来持つ価値、本質的なもの」です。 つまり「勿体ない」とは、「本来の価値がなくなってしまう、または損なわれてしまう」ことを惜しむ言葉なのです。  2.日本人のあり方の原点「清き明(あか)き心」として考えるならば、「人は生まれながらにその身のうちに神様を宿し、美しく清らかな存在である」はずなのに、「異心」に覆われてしまうのは「勿体ない」という意味になります。 標準装備として受け継いできている本来の価値や本質的なもの(=勿体)を忘れたり、使わないのは、文字通りもったいないことなのです。  3.しかしこのような取りもどしたい日本人の感性は、全くなくなったわけではなく、私たちの日常の中に静かに眠っています。 たとえば、本来の価値を再生する「もったいない」文化を受け継ぐ、「金継(きんつ)ぎ」と いう日本独自の技法があります。 欠けた食器などを漆で継ぎ、金などで装飾を施して仕上げる、日本の伝統的な修繕方法です。 着物文化にもある、仕立て直してオリジナルよりも良くする表現力のことです。  4.この「仕立て直す」は、日本人が最も得意とする「熟練の技」として世界に憧れと尊敬を受ける文化なのです。 金継ぎは今、日本を越えて、世界的にも人気を博しています。 ハイエンドファッションブランドが、金継ぎをテーマにした春夏のクチュールを発表したり、映画『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』で、カイロ・レンの壊れたマスクが修復され、再び登場するシーンで、傷跡やヒビが赤いラインで縁取られていたのです。 これは、「再生」というテーマで、日本の金継ぎにインスピレーションを受けたのだそうです。  5.一般社団法人日本金継ぎ協会は、「金継ぎがつなぐ美しい心を和の国から」というキャッチコピーで、和の国日本の文化を表現しています。 そして次のような素晴らしいメッセージを伝えてくれています。 《人も器も不完全だからこそ美しい。 傷跡を隠すのではなく個性として受け入れ、 より輝いていける価値観を 金継ぎを通じて拡げていきます。》 日本人の心に眠る最高価値観 「清き明き心」は、現代においても形を変えて、世界 を魅了するジャパンセンスとして輝きを放っているのです。  ◆日本人のあり方の原点「清き明(あか)き心」とは、卑怯なことをしないで、誠実で、清らかで、明るく、清々しい心のことをいう。 日本人は元々、きたないことを忌(い)み嫌う。 これは、清掃や掃除をするという意味だけでなく、きたない行動も指す。 「きたないこと」を神道では「穢(けが)れ」という。 神道でいう「お祓(はら)い」は、自分についてしまった「罪穢れ」を祓うということ。  ◆神社では、6月30日に「夏越の祓」という神事がある。 その年の1月から6月までの半年間に、知らず知らずにおかしてしまった罪や穢れを祓う祭事だ。 また、12月31日には「師走の大祓」があり、後半の半年間の罪穢れを祓う。  ◆「人も器も不完全だからこそ美しい」 我々一人ひとりが、不完全であることも含め、生まれながらにして本来持っている「清き明き心」。 「勿体ない」という言葉を胸に刻みたい。
2024年04月01日
00:00:00 - 00:03:00
【人生は遊びながら年老いてゆく】(寺山修司)

【人生は遊びながら年老いてゆく】(寺山修司)

1.かもめは飛びながら歌をおぼえ /人生は遊びながら年老いてゆく /遊びはもうひとつの人生である /そこにはめぐり逢いも別れもある /人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる /人はだれでも 遊びという名の劇場をもつことができる /悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ /そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる /遊ぶことは 冒険することであり、 ためすことであり、知ることだったのです  2.人生が終わると、遊びも終わってしまう /しかし、遊びが終わっても人生は終わらない /遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる /出会いと別れのくり返し そこが遊びのいいところなんだね /人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる /そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある /人生が、いちばん安上がりの遊びである /死が、いちばん高くつく遊びである  3.遊びは、人生の時刻表である /人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ /人生は汽車である /旅をしながら年老いてゆく  藤原東演住職は「遊び」についてこう語る。 ●「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。 我を忘れて、無心に遊んでみないか。 仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。 仕事は成果をあげなくてはならない。 「何かのため」という意味づけが不可欠だ。 ところが、遊びは何かのためにという目的がない。 ●その成功とか失敗なんか関係がない。 成果など計算したら、それは遊びではない。 人の評価も気にする必要がない。 ただやることが面白い、楽しいからやるのである。(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)  ◆「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』(今東光) 人生を、道草したり、遠回りしたり、迷ったり、あと戻りしたり、しながら旅をする。 そして、時に、ふざけたり、大騒ぎしたり、それで、怒られたり… でも、それを、面白がって、大笑いしながら、楽しんで生きていく。 それが、遊び。 人生は汽車である  旅をしながら そして、遊びながら年老いてゆく。
2024年03月31日
00:00:00 - 00:02:48
【誰と一緒に行くのか】(川田浩志・ひろし)

【誰と一緒に行くのか】(川田浩志・ひろし)

1.スウェーデンの首都ストックホルムに住む七五歳以上の市民を対象にした三年間の追跡調査によると、他人とのつながりのない一人暮らしの人は、そうでない人に比べて認知症になるリスクが一・五倍に高まることがわかりました。 2.また、米国在住の六〇歳以上の男女約一六〇〇人を六年間追跡調査したところ、孤独な人は、起き上がったり、歩いたりするなどの、日常生活を営むうえで基本的な身体機能になんらかの障害が生じるリスクが、孤独でない人に比べて一・五倍に増加するという結果が認められました。 3.さらに、世界各国からの一四八個にものぼる調査研究の結果をまとめた計三〇万人以上を対象にした解析研究も報告されています。このような解析方法はメタ解析といって、科学的エビデンスとしてより信頼性の高いものが得られます。そして、そのメタ解析の結果、平均七年半の追跡期間において、他人と強いつながりのない人は、ある人に比べて死亡リスクが一・五倍になるという結果が得られました。 4.このように、知人たちとのつながりは、私たちに生きるパワーを授けてくれているのです。その理由として、以下のことが考えられます。 1.他人と接触することによって頭と身体を刺激する機会が増える 2.知り合いとの交流が自分の健康習慣に良い影響を与える 3.仲間とのつきあいでメンタルストレスが軽減されることで、体内に発生する「ネガティブ物質」の害を受けにくくなる 《人生を楽しんでいる人は、知人たちから生きるパワーを授かっている》 ◆お釈迦さまの十大弟子の一人である、アーナンダがあるとき、お釈迦さまにこう尋ねたという。「ともに仏の道を歩む善き友がいるということは、修行の半ばを達成したと思うのですが、如何でしょうか」するとお釈迦さまは、こう答えた。「善き友、善き仲間がいるということは、修行の半ばではなく、修行のすべてなのだよ」、と。 ◆これは、旅でいうなら、どこへ行くかということより、誰と一緒に行くか、が大事だということ。どこで何を食べるかということより、誰と一緒に食べるのか、が大切。人生もまた同じで、誰と一緒に歩むのか、だ。善き友、善き仲間がいるなら、どこへ行っても、何をしても、何もしなくても、楽しいからだ。「誰と一緒に行くのか」という言葉を胸に刻みたい。
2024年03月30日
00:00:00 - 00:02:49